許してあげないと、いけないんだよ。
怒りにとらわれたままじゃ、前には進めないんだから…
許していかないといけないんだよ。
怒りにとらわれたままじゃ、あなたが苦しむばかりだから…
みんな、許そう。
そして、自分を解放してあげよう…
「鈴木さん、私もうどうしたらいいか…。何をするにも身体が重くて辛くて、動けないんです。
病院に行っても悪いところはないって言われるばかりだし…でも、本当に辛くて、ここひと月くらいはもう、寝たり起きたりの状態だったんです。
ストレスに感じることが多くて、そろそろ限界です。このまま、また前のようにうつになって死にたいって思うようになるんじゃないか、不安でたまりません。」
妙子(たえこ)さんはそう言って泣き出してしまいました。
夫婦の不仲や職場でのトラブル、一つ一つ解決しながらカウンセリングを続けてきた妙子さんは、一時期カウンセリングに通う足が遠のいていました。
久しぶりに来所したまでは良かったのですが、足が遠のいていた間に、いろいろと考えることがあったようで、話しだしたとたん、自分がいっぱいいっぱで、ギリギリのところに居たことに気付いた様子でした。
一通り話し終えると、妙子さんは少し落ち着いた様子で言いました。
「自分では前のカウンセリングで、もう大丈夫って思えるようになっていたんですけど、無意識のうちにずいぶんまたため込んでしまったみたいですね…
主人のことや職場のことも、いけないとは思いながらも、気をまわしすぎたり、向こうがどう思っているのかも聞かないまま、私のことをこう思っているんじゃないかと気をもんだりすることがまた、多くなってしまって。
そうなって来ると逆に、だんだん相手に腹が立ってきたり、つい批判的な言葉が出てきたりし始めたんです…。
以前、自己否定的な人は心の奥に人に対する批判的な気持ちや怒りを持ってるって、私に言ったこと、鈴木さん覚えてます?
ここのところ、自分がだめだって気持ちも、もちろんあったんですが、いろんな人に腹が立って仕方がないんです…。
私こんなじゃなかったのにって思うとますます滅入ってしまって、このままじゃ本当に
またうつになってしまうって思って怖くなったんです。」
「そうでしたか…それは、きつかったですね。」
そう、声をかけると、一(はじめ)さんは一息置いて話しだしました。
「妙子さんの心の中に消えることがない大きな怒りが渦巻いていることは、前から感じていました。僕に対しても心の奥で怒りを持っていることもね。
勘違いしないでくださいね。そのことを責めているわけではないんですよ。
あなたが心の奥で人に対して怒りを感じてしまうのは、自分に自信がなく自己否定的な『逃げる』という表面上の防衛反応のパターンの裏返しで、『戦う』という隠された防衛反応のパターンなのだということを分かってほしくて言っているんです。
反対に、強そうに見える人だって、心の底には大きな不安や怖れを持っていたりするものですよ。強い人なんてどこにもいないし、完璧な人だっていないんです。
でも、心に怒りをため込んでいる限り、あなたは楽になることはできないんですよ。
あなたが恨んでいる人たちをそろそろ許してあげませんか?」
それを聞いたとたん、妙子さんの顔からすーっと血の気が引き表情まで苦しげになってきたのです。
「許す…?私を苦しめてきた主人や、いろんな人たちを…?どうして許せるんですか…!
あんなにつらい目にあってきたのにっ!」
表情も険しくなり、息遣いまで苦しげに乱れてきた妙子さんが一さんを睨むような目をして言いました。
「許してあげないと、いけないんだよ。怒りにとらわれたままじゃ、前には進めないんだから。」
「でもっ…」
「許していかないといけないんだよ。怒りにとらわれたままじゃ、あなたが苦しむばかりだから。」
「できません…」
「みんな、許そう。そして、自分を解放してあげよう。」
「解放…?」
首を横に振るばかりだった妙子さんは、ハッと顔を上げると一さんの顔をまじまじと見つめました。
「そうだよ、そろそろ怒りから自分を解放してあげなくちゃ。」
そう言うと一さんはゆっくりと噛んで含めるように妙子さんに話し始めました。
「嫌な目にあってきたことや不条理なことをされたことを我慢して、自分を殺して耐えなさいとか、忘れてしまいなさいって言っているんじゃないんですよ。そんなふうに感情を押し殺してしまったら、ゆがんだ形で必ずどこかに出てしまうからね。
許す人を思い浮かべたとき、あなたにはその人の嫌なところやひどいことをされたことばかり思い浮かんでくるでしょう?
そうしたら許すなんてとんでもないことにしか思えないでしょう?
でも、考えてみて。
いいところがちっともない人なんてこの世の中にはいないはずだよ。
もう一度、腹が立っている人のことをよーく考えて、いいところを思い浮かべてみてごらん。
その人のいいイメージが浮かんだところで、すぐ許そうって思わなくていいんだ。
『自分を苦しめている怒りとサヨナラしよう。』って思ってごらん。
そして、心の中でその人との縁を切ってしまえばいいんだよ。
もちろん実生活の中では顔を合わせる人もいるだろうけど、あくまでも自分の中での決別だから…
嫌だったことや腹が立ったことを許そうと思うよりもこの方法のほうが抵抗なくできると思うよ。
もう一度、試してごらん。」
妙子さんは、ゆっくり目を閉じるとしばらくの間じっといろんなことを思い浮かべている様子でした。
そして、次に目を開けた時には穏やかさが感じられるほど、落ち着いた顔をしていました。
「上手く行ったみたいですね。」
そう声をかけた一さんに、妙子さんは力強くうなずくと言いました。
「はい、もう怒りの感情に振りまわされることはやめました。
ここに来た時は、許すことなんかできるわけがないと思って、そう勧めてくれた鈴木さんにも始めは正直怒りを感じるほどだったんですけど、『長所を思い浮かべながらその人とサヨナラする』っていう方法はやってみると意外にすんなりと受け入れることができたんです。
何より、一人サヨナラしたとたん、気持ちがすごく楽になっているのが感じられて…
思った以上の、驚くほどの効果でした。
人を恨んでいないというのは、とても楽なことだったんですね…
今まで、どれだけの時間を怒りを感じながら無駄にしてきたんでしょうね、私は…
もう、人生を無駄にするのはやめようと思います。」
顔をあげてきっぱりと言う妙子さんを見て、一さんは心の底から嬉しく思いました。
一さん自身もまた、許すことの大切さを改めて感じた事例でした。