「ここを友人に勧められたので、お電話したんですけど…」
林田さんと名乗る女性から電話がかかってきたのは、この冬一番の寒波でとても冷え込みお正月以来の雪のちらつくどんよりと曇った日の午後でした。
ちょうど、お客さんが切れた合間で、あまりの寒さに暖房の効きが悪く感じるほど寒い、と訴える青木さんが席を立ち「温かいもの何か入れてきます!!」と給湯室に行ってしまっていたため、直接一(はじめ))さんが応対したのでした。
「私がセラピストの鈴木ですけど、どうされたんですか?」
そうたずねる一さんに一瞬、躊躇(ちゅうちょ)したように口ごもった林田さんでしたが、意を決したようにしゃべりだすとこう言ったのです。
「あの…うち、夫婦喧嘩が絶えなくて…このままではもうダメかなって思った矢先に、友達が自分もカウンセリング受けて良かったからって勧めてくれたんです。
ずいぶん前に聞いてはいたんですけど、踏ん切りがつかなくって。でも、日に日に子どもたちの顔が暗くなってきて、もう何とかしなくっちゃいけないって思ってお電話したんです。」
一気にここまで話すと、よほど緊張していたのでしょう、ふうっと息を吐く気配が伝わってきました。
「電話するまでにずいぶん迷われたんでしょう?大丈夫ですよ、家族をよくしようと思って行動を起こせたあなたならきっといい解決法が見つかるはずですから。安心して来てください。」
電話の向こうからほっとした気配が伝わって来ました。
林田さんは早いほうがいいから、と一番近くで空いていた明日の午後に予約を取り相談に来ることになりました。
「予約の電話ですか?」温かいココアのカップを2つ持って戻ってきた青木さんに一さんはうなづきながら言いました。
「明日の午後の予定に林田さんって書いておいて。」
翌日、訪ねてきた林田さんは小柄でしゃきっとした印象の女性ではきはきした話し方の人でした。
青木さんに案内されてカウンセリング室に入ってきた林田さんがソファにかけるタイミングを見計らって、一さんはカウンセリング室に入ってきて、「よくいらっしゃいましたね。」と声をかけました。
「ここに来る決断をするまで、相当悩んだのでしょう?自分を助ける決断をよくしましたね。一緒にご家族が幸せになれる方法を見つけていきましょう。」
そう言って一さんが手を差し出すと、林田さんは目をうるませて「よろしくお願いします。」
と言いました。
「まず、あなたが今辛いことや解決できればいいなと思うことを教えてください。」
そうたずねる一さんに林田さんは考えながらゆっくり話しだしました。
「電話でも話したんですが、結婚してからずっとケンカしない日はないくらい夫婦げんかが絶えないんです。きっかけはいつも後で思い出せないくらい些細なことなんですが、その時はもう、カーッとなってしまって止まらないんです…。」
「そうですか…他には気にかかっていることやこうなりたい、ということはありますか?」
そうですねぇ…と考え込む風だった林田さんは、「こんなこと何か参考とかなるか分からないんですけど。」と前置きして話しだしました。
「もう分かってらっしゃるかもしれませんけど、私さばけた性格なんです。自分で言うのもなんですが結構何でも器用にこなせるんですよ。でも、すぐに飽きてしまって途中で放り投げてしまうことも多いんですけどね。
結婚して子どもを産んで家庭に入るまでは、同僚に男性からも一目置かれるっていうんでしょうか、いい意味で女扱いされないっていうか仲間って感じに扱ってもらえてて。
私も、可愛いなんて言われるより頼りになるとか仲間みたいに扱われるのがかえって嬉しい位でした。
そんなだから、仕事に関しても認められていたんですが、どんなに重要なポストで仕事をやり遂げることができても、納得いかないというか、達成感もないし、ほめられても何だかまだまだっていうか、素直に受け入れられないところがあって。
これって、どうにかできるものなんでしょうか?」
じっと話しを聞くだけだった一さんは、何か引っかかる点を見つけたようで林田さんにこう聞きました。
「小さい頃の家族構成とかお家の様子で覚えていることがあったら話してもらえませんか。」
「ええっと…うちは父方のおばあちゃんと同居で、父と母と女の子の3人姉妹でした。私は末っ子です。父は仕事柄単身赴任が多くて家にいることが少なくて、母も仕事をしていたから家にいることが少なかったですね。今思えばおばあちゃんと折り合いがあまり良くなかったからなるべく遅く帰ってきてたのかもしれません。家に居たくなかったんだと思います。
3姉妹の末っ子でしたけど、親はけっして男の子だったらなあとは口にはしませんでした。
ただ、私の名前の字画が男だったら最高にいい字画なんだよと言われたことだけはなぜかはっきり覚えてるんです。
子どもの頃から、女の子の割に元気者ではっきりものをいうって周りの大人たちから言われてきましたし、自分でもそんな自分のことが好きでした。
実際、女の子らしく扱われると居心地悪いっていうか、落ち着かなくて…。
だんだん女の子らしく胸が出てきたり生理が始まったりしだすと嫌だなあって気持ちの方が大きかったですね。やっぱり、自分が男の子だったらお父さんやお母さんは嬉しかったんじゃないかって小さいなりに思ってたのかも知れません…」
そう言ったきり黙りこんでしまった林田さんに一さんはこう言いました。
「自分でも感じているみたいだけど、あなたは自分が女性であることを受け入れていないのかもしれません。自分の性別が受け入れられないっていうのは自分の存在自体を否定しているのと同じなんですよ。今からそこを一緒に解決していきましょう。」
椅子を向い合せに2つ並べると一さんは林田さんに尋ねました。
「自分の中の女の子を否定したのは何歳くらいだと思う?」
「…6歳くらいかな?」そう答える彼女に、一さんは言いました。
「あなたから見て向かって右が今のあなた。左が6歳のあなただと思って下さい。
右の椅子に座って、6歳の女の子に『あなたは女の子であっていいんだよ』と納得させてあげてください。」
林田さんは右の椅子に座ると、向かいにある椅子の上に小さな自分をイメージしながら、言いました。
「あなたは女の子でいいんだよ。」
「小さな女の子になったつもりで左の椅子に座ってごらん。」
言われたように左の椅子に座った彼女に一さんは尋ねました。
「あのおねえちゃんがそう言ってるけど、どんな気持ち?女の子のままで答えてごらん。」
左の椅子に座ったまま、小さい女の子のように林田さんは言いました。
「うそ!そんなことない、男の子のほうが良かった…」
一さんはうなづきながら椅子をあと3つ出してくると、横に並べ、「これはおばあちゃん、お父さんお母さんの椅子だよ。皆幸せそうに見えるかい?」と聞きました。
彼女は首を横に振りました。
「この人たちが不幸なのはあなたのせいなの?」
すると、彼女は激しく首を横に振りながら叫びました。「違う!私のせいじゃない!」
「じゃあ、言ってやりなさい。あなたが不幸なのは私のせいじゃないって!」
彼女の目には涙が盛り上がっていました。それでも毅然(きぜん)と顔を上げるとそれぞれの椅子に向かって言ったのです。
「あなたが不幸なのは私のせいじゃない!!」
しばらく間をおいて、一さんは静かに言いました。「そうだよ、この人たちが不幸なのはあなたのせいじゃない。
あなたが男の役目をして家族をまとめて、幸せにしてあげようと思わなくてもいいんだよ。
あなたたちが不幸でも、私は幸せになります、男の役目はもうやめますって皆に言いなさい。」
彼女は泣きながら言いました。
「あなたたちが不幸でも、私は幸せになります!もう、男の子の役目なんかしない!!」
そう言って彼女は号泣しました。
「よく言えたね、もう女の子に戻れるね。」一さんはそっとつぶやきました。
彼女の涙が治まり、落ち着いた頃一さんは言いました。
「さあ、今まであなたを守ろうとしてがんばってきた6歳の女の子にお礼を言って、もう女の子であっていいんだよって教えてあげなさい。」
彼女はこっくりとうなづくと言いました。
「34年間がんばってくれていたんだね、ありがとう。でももう大丈夫。もういいよ、女の子に戻ろう。もう、終わりにしよう…」
彼女の目には向かいの椅子に座って「うん。」とうなずきにっこり笑う、6歳の自分が見えているようでした。
もとのソファに戻っての彼女の第一声は「力が抜けてるーっ!!」というものでした。
「私ってどんだけ肩肘(かたひじ)張って力を込めて生きていたんでしょうね…。普通に女の子であるだけでこれだけ楽だなんて…。座ってるだけで肩がほぐれていくみたい。
それに足!そう言えば膝(ひざ)を揃えて座ることなんかなかったかも。いつもジーンズで膝の間に隙間があいていて、ホント男の座り方だった…。自分では全然無意識だったのに、不思議です。」
「女性が男の役目を負おうとすると、なぜだか強くならなくてはならないと思うようで、常に戦うというか戦闘態勢になってしまう人が多いんだよ。だからトラブルが絶えなかったりけんかっ早くなってしまったりするんだ。
ご主人とけんかが絶えないのもその辺があったからでしょうね。
あなたのその明るさに女性らしさが加わって、戦闘態勢が解除されると今まで以上に人間関係が良くなるはずですよ。今まで以上に肩肘張らずに親密に付き合える友人があなたの周りに集まってくるはず。」
「そうなんだぁ…」ほっとしたのか砕けた口調になってしまった彼女に、一さんは一つの提案をしました。
「1分間だけならば僕はあなたの理想的なお父さんになってあげられるけど、僕をお父さんにしてみる気はない?」
一瞬きょとん、とした顔をした彼女はすぐに満面の笑顔になると、言いました。
「ぜひ!」
一さんは立ち上がると一言、言いました。
「おいで!」
そう言って広げた両腕の中に、彼女は飛び込んできました。
「お父さーんっ!!」大きな声でそう呼び、再び涙を流し始める彼女を抱きしめながら一さんは言いました。
「女の子に生まれてきてくれてありがとう。いつも留守にしてばかりで悪かったね。でも、お父さんお前のことが大好きだよ。」
彼女は何度も何度もうなずきながら、理想のお父さんの腕の中で静かに泣きました。
女の子である自分に注がれている、お父さんの愛情をしっかりと感じながら、泣きました。
女の子として愛され保護されている安心感を得て、彼女は心の底から女の子に戻ることができたのです。
涙に潤んだ目でほほ笑み何度の振り返りながら帰っていく林田さんを見送った後、一さんは青木さんに言いました。
「自分の性別を受け入れられないっていうのは、自分の存在を受け入れられないのと同じくらい深いトラウマになるんだ。女の子は直接的にお前が男の子だったらって言われることで受け入れられなくなることが多いけど、男の子は気遣いや優しさなどの女性的な振る舞いや心遣いを求められることで女性の役割を果たそうとしてなるケースが多いんだよ。
彼女はちょっと珍しいケースだったね。
『男だったら最高の字画だった』なんて親としてはちっとも傷つけるつもりなんかなかったのかもしれないけど、その一言で彼女は34歳まで戦い続けてこなくてはいけなくなってしまったんだ。辛かっただろうね。
これからはきっと夫婦げんかも減って幸せな家庭になっていくと思うよ。子どもたちのためにも、本当によかったよ。」
数日後、今までの寒波がうそのように暖かな日差しの小春日和(こはるびより)の日、意識していないのに子どもへの対応が変わり、子どもをしかることが激減した、と彼女が不思議そうに電話をかけてきたというのはささやかな後日談として、一さんの心を温かくしてくれたのでした。