Season1-Cace04      「死なない契約」

隆浩井 | 2022年9月16日


          
                         Season1-Cace04      「死なない契約」

ある、しとしとと冷たい雨が降る晩秋の朝のことでした。いつもお世話になっている田中さんが気になる人がいる、と一(はじめ)さんに電話をかけてきました。

同業の建設業の社長さんで、事業の失敗からうつ病を発症し、一回自殺未遂を起こしているというのです。

もう事務所に出かけようとしていた一さんは、かかってきた携帯で話を聞きながら、早苗さんに「行ってくるよ」と言い、家を出ました。

 

事務所に向かう道すがら詳しい状態を聴き緊急性を感じた一さんは田中さんに言いました。

「かなり危ない状態だと思いますよ。一刻も早く病院か、それが無理なら僕の所に連れて来てください。」

一さんの言葉に思った以上に危ない状態らしいと感じ取った田中さんは、「分かったよ、鈴木さん。説得してみるから本人がうんと言ったら会ってやってくれ。」と、早口に言うと電話を切りました。

 

事務所に着いてからも胸騒ぎの収まらない一さんの様子に、コーヒーを持ってきてくれた青木さんが気づき「先生、何かあったのですか?」とたずねました。

「実は田中さんからかなり危なそうな自殺願望の人のことで電話があってね。ちょっと気になってるんだ。何とかして病院かここに来てくれるといいんだけど。」

上の空で、それだけ答える一さんの脳裏にはある人のことが浮かんでいました。

 

その人に出会ったのは、11年前、一さんがまだ大きな会社の人事部で仕事をしていた時のことです。

社内の相談役のような仕事も担当していた一さんは、仕事の失敗からうつ状態になってしまった森佳代子さんという女性と面談をしたことがありました。

過呼吸の発作を起こし医務室に運ばれた彼女を診た保健師の斉藤さんが、精神的な部分に原因があるのではと感じ、カウンセラー的な役割をしていた一さんに相談したのです。

 

「これまでにも何度か発作を起こしたことがあるらしいの。鈴木さん話を聞いてあげてくれる?」

カウンセリングやメンタルケアにとても興味を持っていた一さんは、斉藤さんからの依頼を二つ返事で引き受けました。

 

数日後一さんは夫に付き添われて相談室に現れた森さんと面談しました。

「こんにちは、森さん。体調はどうですか?」

 

しばらくうつむいていた森さんは、ご主人に促されて話し始めました。

「…過呼吸の発作の時以外はこれと言った症状はないのです。ただ、最近はいつも体が重い、というか頭が重いというか…」始めはぽつりぽつり、といった感じでしたが、話し始めると今までの印象とは違って、森さんは次第に饒舌(じょうぜつ)になってきました。

「私の不注意からせっかくうまくまとまりかけていた仕事が断られてしまって、それ以来生きていても仕方がない、自分には何の価値もない…そんな考えばかりが頭に浮かんできて。夜もよく眠れないし、食欲もないのです。主人はとても優しい人で、こんな私を責めることもしないし、家事も手伝ってくれて助けてくれます。本当だったら離婚されても文句も言えない状態なのに…あせらないでゆっくり治せばいいよって言ってくれるんです。

私にはもったいないくらいの人です…

それなのに最近は、優しい言葉をかけてくれればくれるだけ、こんな状態になってしまっている自分を責めてしまって、逆につらくなってしまうんです。私はどこまで自分勝手なんでしょうか…。」

ここまで一気に話すと森さんは涙を浮かべた目で助けを請うかのようにじっと一さんを見つめました。

 

大学で心理学を学び、就職後も人事関係やメンタルケアにかかわりの深い部署で仕事をしてきた一さんは、森さんの話を傾聴しながら、森さんが問題を解決する手助けをしようと、自分なりの知識を使ってカウンセリングに取り組みはじめました。

彼女の幼児期の話から、あまりかまわれず、時には手を上げられる、物でたたかれる、いらない子だったとののしられるなどの身体的、精神的な虐待を受けて来たことも分かりました。

愛情不足からくる自己肯定の不足、自分の存在そのものの否定がベースにあり、今回仕事上で失敗したことから自分の存在価値を肯定できなくなったことからのうつ状態であると分析した一さんは、彼女の自己肯定を深めることでの状態の改善を目指して関わりました。

 

数回の面接行い、少し元気を取り戻したように見えていた森さんの訃報が届いたのは、一回目の面談からまだ一月ほどしかたっていない、しとしとと冷たい雨が降る晩秋のある日でした。

カウンセリングはうまくいっていると思っていたのに…一さんはショックでしばらく口もきけませんでした。

 

彼女のお通夜に参列し、夜遅く自宅に帰った一さん宛てに一通の手紙が届いていました。

いったい誰からだろう?そう思いながら封筒を裏返すと、差出人はなんと森さん本人なのです。

ハサミを持ってくるのももどかしく、封筒の端を手で破ってみると便せんにはこんなことが書いてありました。

 

『鈴木 一様

この手紙がお手元に届くころには、私はもうこの世のものではなくなっているでしょう。

せっかく親身にお話を聞いてくださったのに、こんなことになってしまい申し訳ありません。鈴木さんにはとても感謝しております。

もし、鈴木さんに出会っていなかったら、私はもっと早くにこの世を去っていたと思います。鈴木さんの親切に応えたい、そう思ってしばらく頑張ってみましたが、もう限界でした。

せっかくのご恩をあだで返してしまうことになり、心苦しいのですが、どうかお許しください。

さようなら。本当にありがとうございました。

       森 佳代子       』

 

読み終えた瞬間、全身から力が抜け、一さんは玄関に座り込んでいました。

帰ってきた気配がしたものの、一向に上がってくる様子がないのを変に思った早苗(さなえ)さんが、大きなおなかを抱えて瑠実(るみ)と一緒にリビングから出てきたのはまさにその時でした。

喪服を着たまま、手紙を握りしめ、号泣する一さんを見て早苗さんは、どうしていいのか分からず、ただ一さんの背中をさすり続けるばかりでした。

「なんでなんだ!何で死んでしまったんだ…」そう繰り返す一さんの耳には、愛娘の心配気に一さんを呼ぶ声も届かないようでした。

 

翌日の朝、一さんは早苗さんに向かって言いました。

「僕はカウンセラーの仕事を続ける自信がなくなった。配置替えか、だめなら今の会社を辞めようと思う。」

朝食に準備をしていた早苗さんは、びっくりして一さんを振り返りました。

「本気なの?もう少し良く考えてからでも…」そう言いかけた時、起きて来た瑠実が言ったのです。

「パパ、お仕事やめちゃダメ!!」泣きながら一さんに抱きついてきた瑠実は涙をぽろぽろとこぼしながら続けました。

「瑠実、パパのお仕事大好きなの。困っている人たちのお話を聞いて、みんなが元気になるように助けてあげるパパの仕事が。瑠実も大きくなったらパパみたいな仕事がしたい!

瑠実が大きくなってパパの代わりにみんなを助けてあげられるまで、やめないで!がんばって早く大きくなるからぁ…それまで瑠実の先生でいて。前を歩いていて…」

まるで、雷に打たれたかのようなショックでした。たった8歳のわが子からこんなことを言われようとは…

驚きと愛おしさとうれしさと入り混じった複雑な思いで瑠実を抱きしめ、早苗さんと二人顔を見合わせていると、6歳になった一輝(かずき)が起きて来てのんきに言いました。

「あれ?朝ごはんまだなの?ぼく、いっぱい野球する夢みておなかぺこぺこなんだけど。」

何とも極楽とんぼな一輝の発言に、深刻なムードも吹き飛んだ鈴木家の朝でした。

 

そんな瑠実も、もう大学生。専攻はもちろん心理学です。一輝はあいかわらずの野球少年。

こちらも、もちろん万年腹ぺこです。

あれからもうそんなに経ったのか…11年前のクライアントを死なせてしまった苦い思い出を思い起こしていた一さんは、心配気に時々こちらを見ながらデスクワークをしている青木さんの視線に気づきました。

(自分の考えに没頭しすぎて、心配掛けたみたいだな…)

「ごめん、青木さん。もう一杯コーヒーもらえる?」

一さんの言葉に、パッと明るい表情になった青木さんは早速コーヒーを淹れに席を立ちました。

 

淹れたてのコーヒーのいい香りを楽しみながら、一さんは11年前の失敗してしまった事例を青木さんにかいつまんで話してあげました。

「今朝、田中さんから自殺願望の人のこと聞いたものだから思い出してしまってね。

あれ以来、僕は関わる人を一人も死なせないって心に誓ったんだ。

『死なない契約』って分かるかい?自殺願望がある人には、この契約を必ず取ってあげないといけないんだよ。

死にたいっていう人に、'どの位なら自分を死なせないでいられるか'言ってもらうんだ。

何週間・何日・何時間…決して無理させちゃいけない。契約を守るのに苦しく感じるようじゃ逆効果だからね。

そして、本人が自己申告した期間の終わりに必ず会うこと。生きていたことをほめて一緒に喜んで、次の契約を決める。生きていたことに対してたくさん褒めてあげて認めてあげるうちに少しづつ期間が長くなったらしめたものだよ。徐々に伸ばしていって自分の存在を許せるようになって落ち着いてきてから、カウンセリングに入って行けばいいんだ。

それまであせらずに待ってあげることが大切だよ。

まず、自分の存在を消さない、これができないことには、他のカウンセリングは何の意味もなさないからね。」

その日、仕事を終えて帰宅した一さんは、みんなでご飯を食べながら、言いました。

「今日、久しぶりに昔の失敗した仕事のこと思い出してね…」そう言うと瑠実が

すぐに思い出し、口をはさみました。

「うん、私覚えてるよ、お父さんがセラピストの仕事やめたいっていった時のこと。」それを聞いたとたん、末っ子の仁実(ひとみ)が言いました。

 

「えーっ!私知らないよ、そんな話!何で、なんで?」瑠実が笑って言います。

「だって、仁実はまだお母さんのおなかの中だったもん。ねえ、お母さん、二人で心配したよねぇ。」と瑠実が言えば早苗さんも大真面目に、「そうよぉ、あんまり心配させるもんだから、びっくりしてあのあと何日もしないで仁実出てきちゃったんだから…」と言います。

驚いた一さんは神妙な表情をして言いました。「そうか、ごめんな仁実。だからあんなにちびで生まれちゃって、今でもこんなに小っちゃいんいんだな…」

肩をすぼめる一さんに一輝が、「親父しっかりしろよ、始めっから生まれた日が予定日だったじゃんか、仁実は!まったく母さんはお茶目すぎるよ…かわいそうな親父。」と言葉とは裏腹に笑いをこらえた顔で言います。

鈴木家の家長の尊厳は…なんて言っている間もないくらい、おかずの皿が減っているのを見、一さんは一切の抵抗を諦めて黙々と食事をしました。

「腹が減っては戦は出来ぬっていうからな…」そんなつぶやきは、みんなの爆笑にかき消されたようでした。

 

次の日、一人目のカウンセリングを終えた一さんに一本の電話が入りました。

電話は、田中さんからで昨日相談した人が病院に行ってみると言ってくれた、ということでした。

「ちょっと、薬を飲んでみて、少し落ち着いたら鈴木さんのとこにも行ってみたいそうだ。

その時はよろしく頼むよ!」

相変わらず威勢のいい田中さんの声とその報告にホッとして受話器を置くと、青木さんに向きなおり、一さんは言いました。

「これで一人死なないですんだかもしれないよ、ホントによかった。」

暖かな、小春日和の晩秋のことでした。

 

 

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