≪前半までのあらすじ≫
「最近は母の手伝いも少しできるようになったんですよ。」そう話す雅子(まさこ)さんとうれしそうなおばあちゃん。
「よかった。」一さんがそう思った矢先でした。
数日後、佐々木さんから雅子さんが入院することになったと連絡があったのです。
≪これより後編の始まりです≫
しかし、症状が悪化しての入院ではなく、介護してくれていたおばあちゃんが腰を痛めて自宅療養が難しくなり、しばらくおばあちゃんと一緒に入院する、そう聞いて一(はじめ)さんはホッとしました。
「病院にお見舞いに行きます、と伝えてください。」そう言って一さんは電話を切りました。
数日後、カウンセリングの空き時間に一さんは雅子さんの病院を訪ねてみることにしました。
佐々木さんに聞いた隣町の病院の受付でたずねるとすぐ病室は分かりました。
エレベーターで入院病棟に上がると、昼食のトレイを配膳車に戻している雅子さんに出会いました。
「あっ!鈴木さん。来てくださったんですね!」嬉しそうな雅子さんの声を聞き、自宅にいた時より元気になっていることに驚きながら、一さんは言いました。
「雅子さん、入院患者さんじゃないみたいだね。」
「はい、周りがおばあちゃんばかりで私が一番若いものだから、お膳を下げたり、お使いしてあげたりしているうちに、何だかしっかりしなきゃって思って。」誰かの役に立っていることがうれしい、そんな顔をして雅子さんは答えました。
「どこに居てもファンタジーワークはいつでもできるし、最近は周りの人にも教えてあげたんですよ。症状が落ち着いてきた人は、一日が結構長くって時間を持て余してしまうから、ファンタジーワークをしていると楽しいし時間が早く過ぎて助かるって感謝されちゃいました。」
明るく話す雅子さんを見ながら一さんは感心していました。「頭の中を自由にする方法をここまで自分のものにして、それが病気の症状まで抑えている。心と体は思っていたよりもさらに密接に影響し合っているんだ…。」約10年近くの経験の中で頭の中に蓄積し組み立てられた理論がまた一歩進んだ瞬間でした。
一さんは今、人の持っている潜在能力の素晴らしさを改めて感じていたのです。
その後も二人のセッションは続きました。会う度、雅子さんの頭の中はどんどん自由になっていくのが手に取るように分かりました。しかし、逆に体の状態は徐々に進行し、最近は痛みも出てきているようでした。
「雅子さん、なぜ、痛み止めを使わないの?」ある日一さんは不思議に思い尋ねてみました。するとこんな返事が返ってきたのです。
「痛み止めを使うと頭がぼーっとするんです。せっかくいろんなことが自由に想像できるようになって楽しいのに、ぼっーとしてしまうのがもったいなくって…」
「でも、痛みが出てくると怖くないですか?」
「いいえ、今の私にとっては自由がなくなる方が怖いです。」
その、きっぱりと潔い雅子さんの答えに、一さんは心を揺さぶられる思いでした。
「強くなったね、雅子さん」そう言いながら、背中をなでた時、彼女のほおを涙が一筋流れ落ちました。
今できる精一杯のことは、黙って背中をさすりながら悲しみを共有すること。ただそれだけでした。
「今の彼女には、話を聞いてあげて気持ちを分かち合ってあげることしかできないんだ。後は彼女が自分で、頭の中をポジティブに保てるように祈るだけ…」
「セラピストだって何でも治してあげられるスーパーマンじゃない…。逆にいろんな人にかかわればかかわるほど、いかに自分にしてあげることができることが少ないか、思い知らされるよ。セラピーでみんなを治してあげたいって思って来たけど、そんなの思い上がりだった。」
「僕に人を変える力なんかない。僕に出来ることは、みんなの力を信じて、ひたすら待つことだけ。いくら方法を教えても、話をしても、するかしないか、変わるか変わらないか、それを選べるのはその人自身だけだから。」
「でも、人間ってすごいよね。余命を宣告された人でも、心はどれだけでも自由になれる。逆に先がいくらでもあるって思っているぼくたちの方が、不平や不満を言って、心を自由じゃなくしてるのかもしれないな…。」
「幸せって、なれるものじゃなくて感じるものなんだなあって最近ホントに思うよ。」
「はたから見て恵まれているように見えたって、ちっとも幸せを感じていない人もいるし、大変そうに見えても、すごく幸せに暮らしている人もいる。環境とか、財産とか、地位とか、それだけで必ず幸せになれるものなんて何にもないんだよね。それを得て、どう感じるか…人の心って入っていけばいくほどホント奥が深いよ。」
長い、長い一さんの思いのつまった話を、早苗さんはただ黙って聞いていました。
(セラピストだって一人の人間なんだもん、悩むことも迷うこともあるわよね…私に話しながらきっといろんな思いを自分なりに片付けているのね…)
おばあちゃんの休養を兼ねて入院した病院から、雅子さんだけは退院できずに月日が過ぎていきました。
あわただしい年の瀬から、年が改まっても、雅子さんの症状は進む一方でした。
食事が思うようにはいらなくなった雅子さんを心配したおばあちゃんは、好物の金時豆を煮たり、手造りのおまんじゅうをふかしたりしては、食べさせようとしますが、なかなかのどを通りません。
「鈴木さん、雅子がご飯を食べないんです…。鈴木さんからも食べるよう励ましてやってはくださいませんか?」
そう言うおばあちゃんに一さんは言いました。
「おばあちゃん、これ以上望んだら酷ですよ。雅子さん今まで相当頑張ってくれたじゃないですか。」
おばあちゃんはハッとした顔をして、しばらく何も言えませんでした。
「…そうですよね、これ以上望んだらバチがあたりますね…」
そう言って、目を伏せたおばあちゃんの肩がかすかに震えるのを、複雑な思いで一さんは見守るしかありませんでした。
(年老いた、おばあちゃん一人の気持ちすら、楽にしてあげることはできないのか…。)
西の窓から差し込んだ夕日が、二人分の影を人気のない病院の廊下に長く長く刻んでも、二人はそこから動くことができませんでした。
節分を過ぎ、寒い中にもどこか春の気配を感じる季節がめぐって来ても、雅子さんの病状は一向に快方には向かわず、ベットに休んだまま話をすることが多くなりました。
背中が痛むので、うつぶせで休むことが多くなっても痛み止めだけは最小限に留め、頭の中での自由を楽しむことだけはやめようとしませんでした。
この日もうつぶせになった状態で少し話をした後、体力を消耗しないように、と早めに話を切り上げた一さんでしたが、病室を出る時ふと振り返ると、うつぶせになったまま手を振って見送ってくれる雅子さんが目に入ったのです。
普段そんなことをする人ではなかったのですが、その時は何となく手を振り返し、病院を出て駐車場に置いておいた車まで戻ってきた一さんはなぜか、あとからあとからあふれてくる涙をこらえることができませんでした。
運転席に座っても、しばらくは発進できないほど涙があふれて来て、「もうこれで雅子さんには会えないのかもしれない。」そんな思いが頭をよぎりました。
「いろんな時代の自分に会いに行っている時だけは、辛いことを忘れられるんです。先のことを考えずにいられるんです…。今、私は本当に幸せです。」
まだ、横になった状態でもずいぶん話ができた頃、雅子さんがそんなことを言ったことがありました。過去にとらわれすぎず、未来に振り回されず、しっかりと「今ここ」を見据えている強さ。
最近一さんには、❝カウンセリングをしている❞という感覚はほとんどなくなっていました。
一人の女性が、自分の置かれた境遇を受け入れて、その中でもしなやかに生きていくプロセスを見せてもらっている、そんな感覚を覚えていたのです。
帰りがけに手を振ってくれた仕草、あれは雅子さんの「サヨナラ」だったのだろうか…。
そう思いながら一さんは車を走らせていました。
自宅に戻っても無口な一さんに、家族のみんなは事情を察したようでそっとしておいてくれました。そんな家族の気遣いをありがたく思いながら、書斎にこもった一さんは、ひたすら愛犬の頭をなでながら物思いにふけっていました。
二朗くんも何かを察したようで、時折励ますように一さんの顔をぺろり、と舐めると後はひたすら寄り添っていてくれるのでした。
家族と愛犬の存在のありがたさが身にしみる夜でした。
数日後、一本の電話が事務所にかかってきました。かけてきたのは佐々木さんでした。
「三日前に雅子さんが逝った。」そう言い佐々木さんは雅子さんの最期の様子を話してくれました。
おばあちゃんと佐々木さんたち数人のお友達に見守られながら穏やかな最期だった、といいます。
薄れる意識の中、大きな息をした雅子さんが最後に「ありがとう」と声にならない声で言ってくれたこと、その後おばあちゃんが涙をこらえながら、雅子さんに、
「雅子、もういいよ、逝っていいよ…」と声をかけると、雅子さんの口元が少しほころんだように見え、そのまま息を引き取ったこと…。
話しながら、また涙が溢れて来たのか、涙声になりながら佐々木さんは話し終えました。
最後に「人の心に可能性の限界はないんですね、あんなにふさぎこんでいた雅子がこんなに穏やかな最期を見せてくれるなんて…。鈴木さん、ありがとう。」という言葉を残して。
受話器を置いたとき、一さんはまるで長い夢から覚めたような、そんな感覚を覚えていました。
雅子さん親子に残された時間を少しでも有意義で充実したものにする手助けができたのかもしれない…、どこかほっとして肩の荷を下ろしたような気がしました。
ずいぶん久しぶりに、自宅とは反対の「奴(やっこ)」に足が向いていました。
雅子さんの見せてくれた人の心の可能性のすばらしさに祝杯をあげたい、そんな気持ちでした。
見なれた引き戸の前に立つと、のれんをくぐりながら「親父さん、祝杯あげにきたよ!」
と声をかける一さんでした。