死んでしまったらもう、問いただすこともできない…
私以外の皆に優しかったお母さん。
どうして私にだけ、あんなに辛くあたったの?
どうしても聞きたかった、でも、聞くのが怖かった一言。
『お母さんは、私のこと嫌いなの?』
「脳がわたしをきれいにするセミナー、なかなか好評でしたねえ…」
脳科学と心理学を融合したオリジナル理論をもっと親しみやすい形で体験してもらえないか…そんな思いから実験的に数回行ったワークショップ形式の女性限定セミナー、
「脳がわたしをきれいにする」セミナー。
カウンセリングやセラピーといった心理面の変化が、身体や美容上にどう変化をもたらすのか…初めは半信半疑の興味津々といった様子だった参加者たち。
しかし自らワークを体験したり、みんなのワークを見て共感したりするうちに、小さい頃の思い込みや、しつけの中でそうとは思わずに刷り込まれてきた偏見といった大小さまざまなトラウマが、大人になってさえいかに影響を及ぼしているかを知り驚いたのでした。
問題が解決したとたん、顔色が良くなり、コリがほぐれ、表情が柔和(にゅうわ)になり、瞳が輝き…。自分のみならず周りの参加者の変化に不思議な顔をするみんなに、一(はじめ)さんはストレスでエネルギーを消耗することが身体のメンテナンスをいかに邪魔しているか、ストレス源がなくなったとたん通常通りに身体がメンテナンスされるだけでどれほど体調が整うかということを説明してあげたのでした。
そのセミナーの参加者の中で「母の死以来、家族をなくすことが極端に怖い。」と話す仲山(なかやま)さんという若い女性がいました。
話しを聞いたとたん、亡くなったお母さんと「さよなら」ができていないと感じた一さんは、たずねました。
「そのことを解決したい?」
まっすぐに顔を上げた仲山さんは「はい。」と言って小さくうなづいたのでした。
「私は3年前に母をがんで亡くしました。私も仕事や子育てで忙しい時期ではあったんですけど、他ではない自分の母のことですから時間を作っては母の看病に通いました。
特に末期になってホスピス代わりの療養病棟に移ってからは、もう長くはないという気持ちもあって、毎日のように通ったものです。
一番近くにいる娘だからということもあったのですが…
母もはじめのうちはとても喜んでくれていたんです。
『絵美(えみ)がいてくれて助かったわ。』『やっぱり実の娘にしか頼めないわ。』って言って。」
一さんは確認するように尋ねました。
「始めから仲が悪かったわけじゃないんですね。」
「はい。ごく、普通の親子だったと思います。
母が変わってきたのは、療養病棟に移ってしばらくの頃からでした。
痛みもだんだん強くなって薬の量も増えてきて…不安もあったんでしょうけれど、私に対して感謝の言葉がまったくなくなって、逆に『あんたに私の辛さが分かるわけがない。』『若いからって思ってると、大間違いよ、誰がいつがんになるかなんかわからないんだから。』って妙に突っかっかって来たり、『もう、来ないでいい。あんたがいると余計にイライラする。』なんて言ってみたり…。本当にあの優しかった母なのかって耳を疑うこともありました…。
とても辛かったです。
頭に転移して人格が変わってしまったんだろうか、そんなことまで考えました。…実際はそんなことはなかったんですけれど。」
「そうですか…あなたにだけだったんですね。」
「それでもいつかは…と希望を持とうと思いながら通いましたが、本当は心が折れそうでした。
誰にでも当たるわけでなくて、本当に私だけなんです。それも他の人がいなくて二人きりの時にだけ…
父や他の兄弟に言おうにも、病気の母に対してなんてひどいことを、と言われかねないような状態でしたから、誰にも言えないし、ましてや他の人になんて。
私だって子どももいて自分が母親の立場なのに、病気の母に辛く当られたくらいでこんなに落ち込むなんて、って思わなくもなかったのですが、やっぱりいくつになっても母は母で、母の前では子どもなんだなあって痛感しました。
母が私にだけ辛く当たるのが自分でも思った以上に辛くてこたえました。」
「それは、大変だったでしょう。」
「もう母が亡くなって3年になるんですけど、母が亡くなって悲しかったというより母にあたられていたことのほうが辛い記憶として残ってる感じがします。忘れてしまった方が楽になるんでしょうけど、そう簡単に忘れられるものでもないし…
家族がいなくなるんじゃっていう漠然とした不安が、母が亡くなってから強くなったように感じるんです。ちょっと心配性すぎかな…ってくらい。
主人の帰りが遅い時や子どもと連絡がつかない時なんかにパニックになっちゃうこともあって自分で自分に嫌気がさすくらいです。
これってやっぱり母が亡くなったことと関係あるんでしょうか?」
相槌を打つ程度で、彼女が話すままに話をさせて聞いていた一さんは、真剣な顔をして一さんの顔を見つめている仲山さんを優しいまなざしで見ながら、こう言ったのです。
「もし、お母さんがあなたにもあたらずに、ずっと我慢したままだったらどうなっていたと思いますか?」
彼女の中で何かがはじけました。
何か言おうとしているのは分かるのですが、言葉にならないまま、代わりに大きな涙の粒が彼女の目に盛り上がってきました。
小さな子どものように涙も鼻水も流れるままで彼女は大きな声をあげて泣きました。
本当に、小さな子どものようにたくさんたくさん泣いたのです。
一さんは彼女が落ち着くまで、優しく頭をなでてあげました。
「辛かったね。よく、がんばったね。」と声をかけながら。
やっと涙が止まると、仲山さんは一さんが渡してくれたティッシュで盛大に鼻をかむと心からの笑顔を浮かべて言いました。
「やっと心のわだかまりが消えました。母は私のことを嫌ったり憎んだりしていたから辛い言葉を投げつけていたんじゃなかったんですね…みんなに我慢して辛い気持ちもぶつけないでいたら、母はきっともっと早く弱って亡くなっていたでしょうね…
辛い気持を、私にだからこそぶつけることができた。あの時そう考えることができていたら、生きているうちにもっともっと母に優しくしてあげることができたのに…
そう思うと、何てかわいそうなことしてしまったんでしょう…
きっと一人で不安を抱えて苦しんでいたでしょうに…。」
そう話すと、彼女の目からまた一筋、涙がこぼれました。
「もう、お母さんに言われたことで今のあなたを苦しめることは止めにしませんか?
お母さんだって誰かに当たりでもしなければ、生きていけないくらい辛かったのでしょうから。今日、ここでキチンとさよならしましょう。」
一さんは椅子を3つ横に並べ、それをベットの見立てると仲山さんをそばに連れて行き、言いました。
「さあ、もうお母さんの最期の時ですよ。まだ、意識があります。あなたの言いたかったこと、たくさんあるでしょう?全部お母さんに言って、もうさよならしましょう。」
一さんに手を引かれながら、椅子のところまで近づいた仲山さんは膝をついて座り込むと椅子に突っ伏して泣きだしました。
そして言いました。
「お母さん、私とても辛かった…お母さんに言われたこと、お母さんは私のことを嫌いなんじゃないかって思って…とても辛かった。
でも、分かったの。お母さんは私のことを嫌って辛いことを言ったんじゃないって…
私にあたらなきゃ、お母さんだって辛かったんだよね…ごめんね、分かってあげられなくって。そして優しくしてあげられなくって…。
私、これでやっと一人残されたような一人ぼっちの気持ちから解放されるよ。
お母さんとの間のように、いつか仲たがいして誰も、家族でさえ私を置いて行ってしまうんじゃないかって思えて、とても怖かった…。でも、そうじゃないんだよね。今やっと、心からさよならが言えるようになったよ。
さよなら、お母さん。私、もう大丈夫だよ。」
それだけ言うと、彼女はしばらくじっと椅子に寄り添っていました。
まるで息を引き取ったばかりの優しいお母さんがそこに横たわっているかのようでした。
「さよならのワークは何回見ても涙が出ちゃうんですけど、仲山さんのワークは見ていて本当に涙が止まりませんでした。
もともと、かわいらしい感じの方でしたけれど、ワークを受けられてから顔色が良くなったし表情がとても明るくなって美人度大幅アップ!っていう感じですね。
これからの変化がますます楽しみ。きっと次に会う時には、気持ちにも、身体にも嬉しい変化がたくさん起こっているのしょうね。」
そう言いながら、青木さんは参加者の近況を尋ねるお手紙を、どんな文面にしようか、と楽しそうにキーボードを叩き始めました。