最後のガキ大将
「最近、子どもの世界も殺伐としてるわよねぇ…」
そんなことを早苗(さなえ)さんが言いだしたのは、夕食の片付けもひと段落してちょっと一服と、温かいお茶を入れてリビングでテレビを見ながらくつろいでいた、そんな時でした。
テレビではいじめを苦に自殺した中学生のニュースを流していて、コメンテーターの人たちが、それぞれの考えを喧々諤々(けんけんがくがく)と述べあっているところでした。
「どうして今の子どもたちはこんなにも傷つけあってしまうのかなあ…自分本位っていうか、思いやりが足りないっていうか…。
私たちの小さい頃に比べたら、本当にいろんなものに恵まれて、欲しいものは簡単に手に入るし、子どもの数も少ないから大人の目も手も十分に掛けられてると思うけど…。
あんまり恵まれすぎてるから逆に、分け合うとか、人に譲るっていう経験が少なくなったからなのかなあ?」
温かいお湯のみを両方の手のひらで包むようにして、お茶を飲んでいた一(はじめ)さんはそうだなあ…といいながら、こう続けました。
「んー…昔は大人の干渉がない、子どもの世界ってものがあったからねぇ。
今の子は小さいうちから競争の枠組みにはめ込まれるから大変だよ。
勉強でもスポーツでも習い事でも比較されて順番をつけられて…。だから周りが仲間じゃなくって敵だらけって感じになっちゃうんだ。」
早苗さんは腑に落ちない顔をして聞きました。
「私たちの頃だってかけっこが早いとか縄跳びが上手とかケンカが強いとか、絵が上手とかいろんな順番があったと思うけど?」
そうそう、そこなんだよ…と、一さんはやや仕事モードに入りながら答えました。
「それは子どもの世界のことだったからよかったんだよ。子どもの中だけで言ってる分には何も危険はないからねぇ。」
「危険って?」
「優劣とか順位付けに大人が関わってくると、大人の関心や愛情が絡んでくるからさ。
子どもは負けてしまうと、大人たちから関心を寄せてもらえない、親から愛してもらえないって思い込んでしまうんだよ。まだまだ主観で判断して生きてるからね…
子どもにとって大人は世界を支配しているように思えるものだから…その大人の関心が自分にないってことは、精神的には死活問題なんだ。兄弟や周りの子どもが、敵になってしまうはずだよ。」
「最近は、なんでも順番とかランクとか偏差値をつけるかと思えば、『差がつくと傷つくから』なんて言って運動会の徒競争で手をつながせたり、順位を付けなかったり、何かおかしな感じよね。ホント子どもの意思は無視して全部大人が支配してるみたいに思えるわ…。
子どもたちにとっては、息苦しい世の中かもしれないわね。」
一さんも感慨深(かんがいぶか)げに言いました。
「全くだ、いろんな歪みは弱いところにしわ寄せが来るものだから、今の世の中、子どもたちが一番の被害者かもしれないな。安心や安全が感じられない世の中じゃどうしても自己防衛的になってしまうし、攻撃的にもなるだろう?
大人が介入しない子どもの世界がきちんとあって、大人の評価のない勝ち負けを経験してお互いに成長することと、一歩離れた所からキチンと大人の保護と許可の感じられる環境に置いてあげるって大事なんだよ。」
「私たちが子どもの頃は、今みたいに便利ではなかったかもしれないけど、子どもにとっては幸せな時代だったのかもね。たとえガキ大将にいじめられてもね。」
早苗さんの言葉を聞いた一さんは心外だ、という顔をして言いました。
「女の子には分からなかったかもしれないけど、ガキ大将って言ったって、何でもやりたい放題なんて、そんな勝手なものじゃなかったんだよ!
結構大変だったんだぞ。ガキ大将も…」
今の職業に就いている一さんしか知らない人にとっては、想像がつきにくいようですが一さんは子どもの頃、近所でも学校でも評判のガキ大将でした。
先生や大人が「こらーっ」と言えばその後に「鈴木!」「一!」と続くのは日常茶飯事(にちじょうさはんじ)、勉強はからっきし、宿題忘れは常習犯…。
来客予定の応接室の茶菓子がなくなった、学校の花壇が刈り取られた
※(これについてはSeason2-Cace04「懐かしき日々」をご覧ください。👈クリックしてジャンプ!)
先生の教壇(きょうだん)からカエルや蛇が出てきた、教室の入り口で黒板消しが落ちてきた、廊下に立たされていたはずがバケツだけ残して校庭で遊んでた…等々
上級生から生意気だと囲まれ、一緒に帰っていた同級生に鞄を預け、まず、一番威張ってそうなやつから、と鼻っ柱に一発、泣きながら逃げるところを、足をかけてひっくり返し…。蜘蛛の子を散らすように逃げだしたとりまきを自慢の俊足でつかまえて全員に一発づつお見舞いしてやったというとんでもないエピソードをうちたてたのは、弱冠3年生の秋のことだったというガキ大将ぶりだったのです。
そのガキ大将ぶりに眉をひそめる大人も多い中、実は決して弱い者いじめをしない、自分からはケンカを売らない、面倒見がよくみんなから慕われているといった面に気づき、多少の悪さには目をつぶって可愛がってくれる大人も案外いたのでした。
そんな一少年(はじめしょうねん)が6年生の頃、担任の先生は厳しいことで評判の男の先生でした。
剣道が得意で、いつも竹刀を持っていた井上先生は、宿題を忘れたと言っては一発、忘れ物をしたと言っては一発、授業中に私語をしたと言っては一発…一少年はその竹刀でお尻をはたかれない日がない、というほどよく叩かれたものでした。
「お前はどうしてこう…」と放課後の職員室に呼び出されてお説教を食らうのも日常化していると言ってもいい位、職員室の常連だった一少年。
時には仲間のとばっちり、ということも実はあったのですが、そこは仲間意識と面倒見のよさから何も言わず、お小言と竹刀での一発を甘んじて受けていた一少年なのでした。
勉強嫌いの上宿題は必ずと言っていいほどしない、よその庭の柿を黙ってとるなと言えば、率先して、「柿をください。」と家人に言いに行き学校に苦情が来る、登っては危ないと言えば、仲間を引き連れて城跡の石垣のぼりをし、誰も登れないところまで登って行く…
とにかく思い通りにならない一少年に、ついつい小言や竹刀での一発の回数が増えて行く一方の井上先生は、ほとほと困り果て、卒業の時にはこういいました。
「鈴木、お前みたいなやつは先にも後にも誰もおらんだろう…」
一少年は大きな声で「はい!ありがとうございますっ!!」と答え、一層井上先生の肩を落とさせた…というのは卒業式後しばらく語り草になったとかならないとか。
「バカもん!誰がほめとるか!!悪さでは、という意味だっ!」
そんな一少年も中学入学と同時に野球部に入部し以来、すっかり野球にはまってしまい野球に明け暮れる日々を過ごしていました。
一少年にとっては、ガキ大将から足を洗ったというより、仲間を束ねて遊ぶ方法がいたずらや大人たちから禁止されたものから野球に変わっただけのことだったのですが…
そんな野球三昧(やきゅうざんまい)の中学時代が過ぎ、高校でも野球を続けて2年も半ばを過ぎたある日、ふと、一少年のもとにあの井上先生がたずねてきたのです。
来年の3月で定年になるという井上先生の訪問の意図が分からず、ただ先生が見えてるわよ、と母から呼ばれて玄関先まで出てきた一少年にずいぶん頭に白いものが目立つようになった井上先生が軽く会釈をして言いました。
「元気でやってるようだな、鈴木。」
卒業式の一件もあり(!?)一少年は少々警戒しながら言いました。
「何ですか、先生。今頃家庭訪問ですか?俺、最近は悪さしてませんよ?」
その口ぶりに顔いっぱいの笑みを浮かべ、先生は言いました。
「いや、あの頃は俺もまだまだ若くてな、教師として自信もついてきた時期で、何でもできる気になっとった。お前の悪さにずいぶん目くじらを立てて何とか矯正して言うことを聞かせてやろうと躍起(やっき)になってたもんだ…すまなかったな。
中学でも、高校でもずいぶん野球で活躍しとるそうだな。お前は昔からみんなを束ねてまとめるのが上手かったからなあ…。」
ずいぶんと丸くなった井上先生の言葉は嬉しいものの、訪問の意図が分からない一少年はあまりリアクションを返さないまま、じっと先生の話に聞き入っていました。
「俺もとうとう、来年の春に定年だ。長い教師生活だったが後にも先にもお前みたいな子どもは誰もいなかった…。とにかく悪さには手を焼いたが、妙に正義感が強くて、みんなに一目置かれて、慕われて…。
お前がにらみを利かせとったから、誰も弱い者いじめすることも陰湿ないじめが起こることもなかったんだと、ずいぶん後になって思い知らされたよ。
今の学校はずいぶん変わった。強い奴がいるにはいるが力でみんなを抑えつけて自分の欲求を満たすことを優先するような子どもが、残念ながら圧倒的に多い始末だ。
力を自分のためにしか使わない強い奴とその横暴に黙って耐えるしかない弱い子どもたち。
自分が仲間外れにされるのが怖くて他の子をいじめる子どもも多い…。個人個人はいい子どもたちなんだが…。いつからお前みたいなみんなを守れるガキ大将がいなくなってしまったんだろうなあ。
鈴木、本当にお前が最後のガキ大将だったよ。一目会って、それが言いたくてな。」
一少年が何も言わなくても、先生は聞いてさえもらえればいいかのように一気に話してしまうと、「急にすまなかったな、もう一度お前の顔がどうしても見たくてな。」と言って
帰って行ったのでした。
「…やんちゃだったとは聞いてたけど、これほどだったとはね。」笑いを含んだ声で言う早苗さんに、大真面目に一さんは言いました。
「だから、そこじゃなくって…ガキ大将っていっても暴れん坊じゃなくってみんなの調停係みたいな役回りだったんだ。まあみんなが納得する腕っ節があってのことだったけどね。
ケンカが強いからって威張ってる訳でもなくって、自分より泳ぐのが上手とか鉄棒がうまいとか納得できる勝ったところは素直に相手にすごいって言って認めあえたんだ。
昔はみんなそうだっただだろ?
僕は、みんながケンカが強い部分を認めてくれていた、そういうことなんだよ。
一人ひとりにそれぞれ上手なことがあって、得意なことがあって、それを認めあえて。
勉強ができなくってもスポーツができなくても、そんなことで差別されることは子どもの世界ではないはずなんだ。それが起こっているのは、大人が刷り込んだ価値感さ。
勉強やスポーツ、習い事ができる子がいい子っていうね。
大人が競争の枠組みにはめ込んで勉強やスポーツ、習い事っていう部分しか評価しない、 そんなことをするから子どもの世界が歪んでしまったんだ、そう思わない?早苗?」