「普段はあんまりくどくど言わない人なんだけど、さすがにこればっかりはねぇ…」
そういってお隣の奥さんは苦笑いしました。
たくさんおすそわけでもらった蕗で佃煮を作った早苗さんが、お隣にも…とできたばかりの佃煮を小ぶりのタッパーに分けて訪ねると、お隣の清水(しみず)さんは大掃除の真っ最中…といった出で立ちで出迎え愚痴をこぼし始めた、といったいきさつなのでした。
「私、料理や洗濯って苦にならないんだけどその後の片付けとか、洗濯物しまったりとか、整理整頓、お掃除…とにかく『片付け』って名のつくものが苦手でねぇ。
ついつい後回しにしちゃって。旦那もあんまり細かい事怒る人じゃないんだけど、取り込んだ洗濯物と置きっぱなしの新聞とか雑誌とか…そんなので足の踏み場がなくなって来るとだんだんイライラしてくるのが分かるのよ。…分かってるんだけど、『分かってるんなら片付けろよ!』って旦那が爆発しちゃうまで、何でだか手に付かないのよ、片付けが。」
そう言いながら、髪をまとめていた三角巾代わりのバンダナを解いて汗を拭きふき、清水さんはため息をつきました。
「ここじゃなんだから、上がってって。お茶でも入れるから。」
そう言いながら玄関に入っていく清水さんに、早苗(さなえ)さんは慌てて言いました。
「いいのよ、お茶なんて。取り込んでるときにお邪魔したのがいけないんだから…」
「何言ってるのよ、私も片付けても片付けても終わらないからいい加減うんざりしてて
一休みしようって思ってたのよ。遠慮しないで、寄って行って。」
「それじゃ、ちょっとだけ…。」
そう言いながら、上がった玄関先から、リビングまでの間、それは見事(!?)なほどにモノにあふれた状態でした。
縛りかけの新聞の束や分別途中のビンや缶の袋、隅に本棚からあふれた雑誌が積んであるかと思えば、乾いた洗濯物の山の隣には今から干すつもりなのか濡れた状態でかごに入ったままの洗濯物が置いてある、といった具合で早苗さんは床に置いてあるものを踏まないように足元を確認しながら前に進みました。
「いつもはもうちょっとましなんだけど、旦那に言われて片付けだしたらだんだん収拾がつかなくなっちゃって…。ソファの上のもの、適当によけて座ってて。何か冷たいものでも入れてくるから。」
おすそ分けに持ってきたタッパーをちょこんと膝の上に置いてソファに腰掛けた早苗さん。
その前にあるテーブルにも、数種類のリモコン、新聞・チラシ、菓子の入ったかご、食事の後、片付け損ねたのか卓上用の調味料のトレー、鉛筆やペンといった筆記用具、学校から来るいろんなお知らせのプリント…そんな雑多なものが乗っています。
「ごめんね、付き合わせちゃって。」
そう言いながら清水さんがアイスコーヒーを2杯、トレーに乗せてキッチンから出てきました。
「その辺に、シロップが2・3個あったはずだけど…。」
早苗さんの前にコースターを置き、コーヒーのグラスをその上に乗せながら、清水さんはコーヒーのシロップを探し始めました。
「変ねぇ…確かこの辺に…」
お菓子のかごの中や小物入れの中をしばらく探していた清水さんは、やっと目的のものを見つけ出し、早苗さんに渡しました。
「いつもこんな調子なのよ、これじゃ旦那が怒りだしてもしょうがないわよねぇ。」
ははは…と力なく笑いながら、清水さんは早苗さんの向かい側のソファの上に置いてある洋服をよけながら座りました。
「鈴木さんとこは、奥さんが片付け上手だからいいわね。いつもきれいにしてるものね、感心するわ。」
「子どももずいぶん散らかさなくなってきたから…でも、部活やらバイトやら時間がバラバラになってきたから片付けるのも追いつかなくって。最近は結構いい加減なのよ。
奥さん最近うちに寄ってないから分かんないだけよ。それに私はほとんど専業主婦だしね。
仕事しながらじゃなかなか大変でしょ。」
「それにしたってひどすぎるって、自分でもわかってるのよねぇ…何で片付けられないのかしら。」
話しを聞きながら、早苗さんはあることを思い出しました。
片付けられない人、ゴミ屋敷などを取材したドキュメンタリーを見ていたときに一(はじめ)さんがこう言っていたのです。
「家を片づけないっていうのは自分の属する場所を不快にしているっていうことなんじゃないかって、最近考えてるんだ。」
「それ、どういうこと?」
「小さいときに家の中で夫婦喧嘩が絶えないとか、比較ばかりされて育てられるとか、
安全を感じられない環境で育つと、属することが安全でないって脳に刷り込まれてしまうんだ。
安全を守るための思い込みは子どもにとっては守らなくては命にかかわるくらい重要な決断なんだ。
属して危険な目にあうくらいなら、属さない方がいい…この思い込みを守るために無意識に家の中を片づけずに居心地が悪い状態にして『属することは不快だ』っていう思い込みを強化して行くんじゃないかな。
もちろん脳が無意識の部分でさせていることだから、意識上では『どうして私は片付けられないのだろう?』と思っている人が多いんだけどね。
片付けられないって言っている人に聞いてみたら分かるよ。家族の仲が悪いとか、けんかが絶えないとか、小さい頃家の中が安全じゃなかったっていう人が結構いるはずだよ。」
「そんな時はどうやって治したらいいの?」
「それはね…」
早苗さんは思い切って清水さんの奥さんに尋ねてみました。
「ねえ、清水さん。もしかしたら片付けできるようになるかも知れないんだけど、ちょっといくつかたずねてもいい?」
「え?…ええ、もちろん!治るんだったらこちらからお願いしたいくらいよ。」
「奥さん、小さい頃おうちの中はどんな感じだった?ご両親の仲がよくて、明るくて安心できる感じ?
それとも誰かが喧嘩ばかりして居心地悪い感じ?覚えてる範囲で感覚的なものでもいいんだけど…どう?」
「そうねぇ…父がすごく厳しい人だったから機嫌を損ねないように母も兄弟たちもいつもピリピリしてる感じだったかもね…怒らせるとゲンコツが飛んできたり、お膳をひっくり返したり、そりゃもう怖かったわ。」
「じゃあ…」と言いながら早苗さんはすらすらとチラシの裏に四角の枠を書きました。
上辺の真ん中のあたりが空いている四角が書かれたチラシを清水さんに見せながら早苗さんは説明を始めました。
「この四角はおうちなの。空いているところが玄関ね。小さいときの清水さんが感じている感覚でいいからここに自分とおうちの人を書き込んで、どっちを向いているか矢印を書いてみて。」
「そうねぇ…」
考えながら清水さんは四角の中に家族を書き入れ始めました。
中央に玄関を睨むようにお父さん、その斜め後ろにお父さんを気遣うように見ているお母さん、部屋の隅っこからおびえてお父さんを見ている兄弟たち、そして清水さん本人は
なんと、玄関から飛び出した位置から、家の中を覗き込んでいるのです!
書いていた本人が一番驚いた様子で声を絞り出すようにして言いました。
「自分でも全然自覚がなかったけど、私、家の中から飛び出してしまっていたのね。
戻りたいのに、入りたいのに、怖くて戻れない…まるでそう言って外から眺めているみたい…」
そう言う清水さんの眼に涙がにじんできました。
「やっぱりね…奥さん、小さい時おうちの中にいるのが怖かったのね。お母さんはお父さんを気遣うのに精いっぱいで子どもたちは守られているっていう感覚を持てないままおびえていたのね…辛かったわね、清水さん。」
清水さんは小さかったころの自分を思って、しばらくの間涙を流していました。
その間早苗さんは背中をさすってあげながら、清水さんの横に付いていてあげました。
「もう、おうちに戻らなきゃね…。」そう声をかけながら…
清水さんが落ち着いてくると、早苗さんは少しづつ話し始めました。
「小さい頃家の中に安全を感じることができないと、属することが安全じゃないように思い込むんですって。だから無意識に家の中の居心地を悪くして『属さない』という思い込みを全うしようとするらしいのよ。
片付けないっていうのも属さないようにする手段なのね。
今日、客観的な目線でその原因がわかったから、片付けられない状況になった時に、自分の中の怖がっている小さな自分に大人のあなたから声をかけてあげて。
『私が守ってあげるから大丈夫だよ』 『皆の中に入ることは危険でも何でもないんだよ。おうちの中をきれいにして居心地良くしても大丈夫だよ」ってね。
小さなところから、少しづつ始めてご主人が喜んでくれたり、子どもたちが嬉しそうにしたり成功例が増えていくとだんだん怖がらなくてもよくなって、少しづつお片付けも苦にならなくなるはずよ。試してみて!」
清水さんは小さな女の子みたいにニコッと笑ってうなづくといいました。
「私、ずっと自分のことずぼらな性格だと思いこんでたのよ。何で片付けが下手なのかって、ずいぶん自分を責めてたし…原因や解決する方法が分かって何だかやれそうな気がしてきた!ありがとう早苗さん。
家中きれいになったら一番に早苗さんをお茶にご招待するわ!待っててね。」
清水さんの奥さんに見送られて早苗さんがおうちに戻ったのは、そろそろみんなが帰ってきそうな夕刻の時間でした。
すでに帰宅してテレビを見ていた瑠実(るみ)が早苗さんの姿を見るなり
「お母さん、おすそ分けずいぶん時間がかかったねぇ。井戸端会議してたんでしょ?」
とからかうように言いました。
「違うわよぉ!お母さん人助けして来たのに!」
そういう早苗さんに瑠実がさらに追い打ちをかけます。
「お母さん、またお父さんみたいに話を聞いてあげてたんでしょう?何してきたの?」
なかなかするどい瑠実の追及に、早苗さんはさらりと答えました。
「守秘義務って言ってね、相談の内容とか人に喋っちゃいけないの、瑠実も知ってるでしょ。」
「…そんなとこまで、お父さんみたい…。」
呆れているのか、感心しているのか…?瑠実はクスッと笑いながら言いました。
「お母さん、早くセラピストさんからお母さんに戻ってご飯作んないとみんな帰ってきちゃうよ?」
「わ、大変!そうだった…!」
さっき清水さんと話をしていた時とはまるで別人のように慌てた早苗さんは、急いで夕飯のメニューを考えようと冷蔵庫に駆け寄って行きました。