ある雨の日曜日、瑠実(るみ)はバイトに、早苗(さなえ)さんと仁実(ひとみ)はショッピングに出かけ…ということで残った男性陣、一(はじめ)さんと一輝(かずき)はお昼ご飯を作ろうと奮闘していました。
「一輝、お湯沸いたぞ、早く麺入れてくれ。」
「父ちゃん、早く野菜切って!肉だけ先に焦げちゃうよ!」
共同で焼きそば製作に取り組むのですが、なかなか思うようには進まないようです。
「父ちゃん、おれが雨で練習休みでなかったら、一人でどうやって昼飯作るはずだったんだよ?」
と尋ねる一輝に、一さんが一言。
「そりゃ、一人なら何か食べに行くか、コンビニででも買ってきたさ。」
「…なんだよ、父ちゃん。母ちゃんに『昼の心配はしないでゆっくり行ってきていいよ』なんて言ってたから、てっきり何か秘策があるのかと思ってたのにー!期待して損した…。」
そんなこんなでドタバタしながらもどうにかお昼ご飯にありつけた二人。
リビングのテ-ブルに向かい合わせに座ったとたん、空腹も手伝って少々のコゲも気にする様子もなく、黙々と箸が進みます。
4人前作った焼きそばが小皿一杯弱?くらい残ったところでやっと箸を置いた二人は、人心地ついたようでお茶を入れると一口おいしそうに飲み、話を始めました。
「一輝、最近調子どうだ?」
そうたずねる一さんに、一輝が何となく歯切れが悪い口調で答えました。
「んー…そーだなあ…まあまあかな?」
「なんだ、そのまあまあって?スランプじゃないんだろう?」
ついこの間の練習試合でもタイムリーツーベースにソロホームラン、と得点に絡む活躍だったことを知っている一さんは不思議そうに聞き返しました。
「うん、そっちは調子いいんだけどねぇ…レギュラー争いで色々あっててさ…。」
自らも中学生のころから大学でけがをするまで野球一筋だった一さん。
練習の大変さ以上にチームメイトとのレギュラー争いや、それに伴う人間関係の大変さも経験してきました。
「そうか…そりゃ大変だな。練習がきついとかよりも、そっちのほうがエネルギー消耗するもんなあ…」
「そうなんだよ、父ちゃん。やっぱ仕事柄分かってくれるって思ってたよ!
まだ、ストレートに文句言ってくれたほうがよっぽどいいんだけどな。裏でどーのこーのって!!
まったく…、母ちゃんたちには悪いけど、これが『女が腐ったような』ってやつっていうんだろうってやつがいるんだよ。」
「ま、どこにでも一人か二人は、いそうだな。」
「そいつ、同級生でポジションもおれと同じだからさ、本当ならいい意味ライバルなんだろうけど、一年のころから何かウマが合わないんだよなあ…
いや、人当たりはすっごくいいやつなんだけどさ。良すぎるっていうか先輩や監督に取り入るのうまいんだよ。
そいつ川口っていうんだけど、自分を売り込んだり、相手をおだててうまくとりいるっていうんならまあいいかって思うんだけど、必ず、他の奴の悪口とかを言うんだ。仲のいい先輩から、俺の悪口言ってたって聞いたからこれはホントの話。こんな感じの奴だからさ、俺話そうって気にならないんだよなあ…。」
「何にも悩みなさそうにしてるけど、お前も結構苦労してるんだなあ。」
食べ終わったお皿とお茶を片づけながら、一さんが言いました。
「父ちゃん、ひどいなあ!俺、こんなに繊細なのに…」
おちゃらけて見せる一輝に、「繊細な奴が焼きそば2人前半ペロッと食べるもんか。」
といいながらも、「一輝は案外、細かいところまで人のこと見てるもんな。そういう意味では繊細って言えなくもないな。」とフォローらしき(!?)発言の一さん。
「人が見れば、なんでこんなことするんだ?ってこと、本人は案外気づかずにしてるってこと結構あるだろう?一輝が苦手な川口君も周りから見れば、なんだ、こいつ!?って思われるようなこと言ったりやったりしてるけど本人は悪びれることないだろう?
そういう人は、人が嫌がることしてるんじゃなくって、自分を守るのに必死なあまり結果として人に嫌な思いをさせてしまっているんだよ。
多分、小さいときに人の顔色見たりご機嫌とったりしていないと振り向いてもらえない経験をしたり、人を悪くいってでも自分を守ることをしないといけない環境に育ったんだろうな。そう思えばかわいそうだよな…。そう思わないか?一輝?」
一輝はいまいち腑に落ちない、といった表情でいいました。
「うーん、見方を変えればそうとも言えるのかあ…確かに腹立つけれど、自分を守ろうとしてやってることだと思ったら、かわいそうな気もしないでもない…かも?」
「だからって、されたことすべて我慢して許してあげろって言ってる訳じゃないんだぞ。ただ、人の言動には必ずそうしている理由があるってこと、それは必ずしも客観的なものではなくて、思い込みに左右されていることも多いんだって覚えておくと、言われたことに一つ一つにカッカしないで、冷静に見れるっていうことなんだ。」
そんな話をした数日後のことでした。
朝起きて、ゆっくりとコーヒーを飲んでいた一さんに、試験前で朝練が休みになった一輝が、珍しく皆と一緒に朝ご飯を食べながら言ったのです。
「そういえばさ、父ちゃんと話してから何だか川口の感じが違うんだよなあ…。どこがどうっては言えないんだけど。相変わらず人当たりのいいしゃべり方はしてるんだけど、嫌味がないっていうか、裏がないっていうか、普通に人当たりのいいやつの話に聞こえるんだ。
俺、別に何にもおだてるようなこと言ったわけでもないし、何かよくしてやったって訳でもないし、心当たりさっぱりないんだけど、父ちゃん俺になんかした?催眠とか!?」
何がなんだかさっぱり…、といった様子の一輝を見て一さんはにっこり笑うとこういったのです。
「一輝、以心伝心って分かるかい?」
一輝はきょとん、とした顔をして一瞬考えていましたが、こう答えました。
「ツーといえばカーってかんじ?」
「…なんだそりゃ…まあ、近いといえば近いか…?」
ちょっとカクッときながらも体制を整えなおした一さんは話し始めました。
「普段生活している中で人とかかわっていると『変わってほしいなあ』って思うことよくあるだろう?あんな言い方しなくていいのにとか、もっと優しくしてくれればいいのに、とか言われなくてもサッサとしてくれればいいのに…とかね。でも、そう思って口を酸っぱくしていくら言っても変わってくれる人はなかなかいないって思わないかい?
これはカウンセリングをする上でも大切なポイントなんだ。
『自分はいくらでも変えることができるが人を変えることはできない』ってね。
もし、一輝が言ったことで誰かが変わったとしたら、それは一輝が変えたんじゃなくて、
一輝が言ったことを相手が受け入れて、相手が自分を変えたってことになるんだよ。」
「父ちゃんそれって結局同じことなんじゃないの?」
「それが大きく違うんだ。一輝の脳は一輝しか使えないだろう?人の感情や思考、行動は全部脳から生まれるから、脳を使える本人しか自分を変えることはできないってことなんだ。もちろん人から影響を受けることはあるけど、最終的にどうするかを決めているのはそれぞれの脳だからね。」
「それと、以心伝心がどう関係してんの?」
それはね、そう前置きすると一さんは一口コーヒーをすすり、一輝に向きなおって言いました。
「一輝は、この間父ちゃんと話して川口君の言動にも理由があるんだって思ったとたん、
川口君に関してのお前の感じ方が微妙に変化が出てきたと思うんだ。
それこそ、自分で自覚はなかっただろうけどね。
一輝は前、嫌なやつだな、悪口なんて言わなきゃいいのにっていう、変わってくれたらなあという気持ちから彼のことを見ていたと思うんだ。自分が否定的に見られてるって言うのは言われなくっても言葉の端々やちょっとした態度でなんとなく分かるものだろう?
それこそ、以心伝心さ。人を変えることはできないけど、こっちが変わるとそれが伝わって相手が変わってくるのさ。
カウンセリングに来る人の中にも、旦那さんや奥さん、子ども、親…自分でなくて人を変えてほしいって言ってくる人が結構いるんだ。その時にもおんなじような話をするんだよ。
自分はいくらでも変えられるけど、人は変えられない、変わってもらうためにあなたの何を変えたらいいのか、感じ方か考え方か行動か…よく考えてごらんってね。
一輝の感じ方が変化したらそれが考え方、行動って言うように数珠つながりのように影響して変化するんだ。感じ方がポジティブなのに考え方や行動がネガティブになるってことないだろう?反対もそうさ。ネガティブに感じているのに考え方や行動がポジティブになることはないんだ。
川口君は一輝の変化を無意識のうちに感じ取ったんだと思うよ。」
「…父ちゃん、すげぇ…なんか全部見てたみたい。」
一さんの臨床や理論に直接接することがあまりなかった一輝は、眼をまん丸にしてつぶやきました。
「俺、一回父ちゃんの頭の中、のぞいてみたい。」
「おいおい、お母さんみたいなこと言うなよ一輝。」
まんざらでもなさそうに一さんが言います。
「その人の言動とか生い立ちから、必要な情報を集めると、ジグソーパズルのピースがはまるように、分析ができるんだよ。セラピーって結構、科学的なものなんだ。」
「うーん…。」感慨深げに一輝が言います。
「父ちゃん、なんでもわかんの?」そうたずねる一輝にピンと来るものを感じ、一さんは言いました。
「何だ、一輝?気になる子でもできたのか?」
興味津々な様子で身を乗り出す一さんにヤブヘビ、と言わんばかりにあわてた様子の一輝は残りのトーストを牛乳で流し込むと、「やばっ!遅刻遅刻!」とあわてた様子で「父ちゃん、俺学校行ってくる!」と飛び出して行ってしまったのでした。
「…ビンゴか。」にんまりと笑う一さんにため息混じりの早苗さんが一言。
「あなた、息子を誘導訊問しちゃダメよ。一輝、女の子に関してはシャイなんだから!」
「そんなことしないよ。ちょっとした情報収集さ。セラピストは千里眼じゃないんだから本人が言わないことまでは分かんないからね。」
悪びれる様子もなくさらっと言ってのける一さんに、起きぬけの瑠実(寝起きの不機嫌さは天下一品!!)の一言がくぎを刺します。
「お父さん、クライエントが望まない分析は禁止!」
鶴の一言ならぬ瑠実の一言に思わず背筋を伸ばして「ハイッ」と答える一さんに早苗さんと仁実はお互いに目配せして笑うのでした。