Season4-Cace02      「隠された決断」

隆浩井 | 2022年10月11日


          
                         Season4-Cace02      「隠された決断」

「年度末のこの時期って人の移動とか配置換えとか転勤とかせわしくって嫌いなんです…。

この時期になると特に何かあるわけじゃなくっても、なんだかいつもに増して気が重いです。」

前田さんはそう言うとため息をつきました。

 

ひたすら親の言うとおりに勉強し、エスカレーター式の学校を大学まで優秀な成績で卒業し、親族が経営する会社に事務員として就職、お見合いで5年前に結婚したという彼は、人から見ればトントン拍子の人生に見えるかもしれません。

しかし30に半ばを越えた彼は、生きている実感や充実感、楽しいと思えることがない、と訴えて相談にみえたのです。

 

「人の中でうまくやっていくことができないし、友人といえる人もいない…私はこれまで何をしてきたんでしょうね…」

 

ぽつんぽつん、と彼は話し続けました。

 

「思えば、私にはまったく自由がありませんでした。ものごころついたころからレールはひかれていて、父親の出たエスカレーター式の名門校に入学することを望まれ、友達と遊ぼうとすればどこの誰で親は何をしている人か、成績は…と、事細かに報告させられ、父親のお眼鏡にかなわない子とは遊ばせてもらえないといった調子でした。

もちろん成績も、常に上位を保つように言われ続けました…前の成績を下回ろうものなら、それは上を下への大騒ぎになったものです。

自分の目標はいい成績をとって安定した一流の企業に入ることと思っていましたし、親の意向に沿うようにということばかりを考えて生きて来たように思います。

…私にとってそうするのが一番正しい事で、それが自分の目標だと思い込んでいたし、それをやりこなすことだけで精一杯だったんです。

それが正しいと思ってここまで生きてきました。でも、この年になって、子どもを育ててみて、自分はこのままでいいんだろうかっていう疑問というかわだかまりが出てきたのです。

振り返ってみれば、私は生きている充実感とか幸せだとかを少しも感じることなく生きてきたように思います。考えれば考えるほど、自分の人生ってなんだろうって思えてきて。

…もう、どうすればいいかわからないんです、でもこのまんまでは苦しすぎます…」

 

 

一通り話し終えると、前田さんはじっと握り締めたこぶしを見つめていました。

そんな様子を見ていた一(はじめ)さんはそっとうなずくと言いました。

「前田さん、大丈夫。これから楽しい事をいっぱい感じていけるようになれますから…。」

その一言を聞いただけで、前田さんの眼に涙が滲んできました。思いきるように頭を振ると、前田さんは言いました。

「よろしくお願いします…」

 

 

「今、一番解決したいと思うのはどんな所ですか?」

一さんにそう聞かれ、前田さんはじっと目を閉じて考えていましたが、目を開けると

まっすぐに一さんを見て言いました。

 

「人の中に入ると普段なんでもない事でもうまくできなくなってしまうので、人の中でもうまくできるようになりたいです。」

 

そう答えて、今から何が始まるのか、一さんからどんなアドバイスをしてもらえるのかと

固唾を呑んで待ち構える前田さんに、一さんはこういったのです。

 

「『人の中でうまくできない』ではなくて『人の中でうまくしようとしない』と言いなおしてみてください。」

 

言われた意味がいまいちつかめなかったようで、前田さんはきょとんとした顔をしていましたが、「私は、人の中でうまくしようとしない」と言いました。

 

すると、一さんがさらに言ったのです。

 

「私は人の中でうまくしようとしない、なぜならば?の次にどんな言葉がでてきますか。」

 

前田さんははっとした顔をしました。その顔が見る見るうちにこわばってうつむくと、こう答えたのです。

 

「人が信用できないから…」

一さんはさらに言います。「『私は人を信用しない、なぜならば…』の次はどうですか?」

 

「私は人を信用しない、なぜならば…」そう言っていったん、言葉を切った前田さんの口から、こんな答えが出てきたのです。

 

「…腹が立つから…」

 

「『私は腹を立てている』と言ってみてください。前田さん、あなたが腹を立てて、それでも我慢していたのは誰に対してですか?」

 

「私は腹を立てている…ああ、そうです、何からなにまでコントロールして自分の思い通りにしようとする父に、私は腹を立てていたんです…」

 

穏やかな顔をして一さんはこう言いました。

「やっと、分かってもらえましたね。人のせいで…という言い方を、自分がこうしている、なぜならば、と言いなおしてみると自分の本当の気持ちがはっきりしてくるでしょう?

 

人の中に入ると消極的になって自信をなくしていたことが、原因をたどっていくとお父さんに出せなかった怒りが周囲の人たちへのいら立ちになって、それがもとになって人を信じられなくなって…というように自分で自分を悪いほうに連れて行っていたのだ、ということがはっきり分かりましたね。

じゃあ前田さん、この椅子を見てください。」

 

一さんは椅子を3つ用意しました。

「一つはお父さん、向かい側は小さい頃のあなた、少し離れているのはいまのあなたです。

今の自分の椅子に座って二人を見てください。お父さんがあなたに厳しいのは、あなたを不幸にしたいと思っているからですか?」

 

じっと椅子を見つめていた前田さんは、しばらくすると首を横に振りながら、少しかすれた声でこう答えました。

「…いいえ、私のことを思ってのことだと思います…今は、そう思えます。」

 

一さんはさらにこう言いました。

「確かにつらいことも多かったでしょう。でも、お父さんなりにわが子のことを一生懸命考えてのことだったというのも事実です。そのお父さんのことを許すか許さないか、主導権はあなたにあるのですよ。どうしますか?」

 

目に涙をためて、前田さんはしばらくうつむいていました。でも、しばらくするとしっかりと顔をあげてこう言いました。

「もう、許そうと思います。そうでないと、自分もかわいそうだから…」

そう言ってしばらくうつむいて涙を流している前田さんを、一さんはそっと見守っていました。

 

『これで、もう人の中に入っていけるはずだ。』と胸をなでおろしながら。

 

 

 

一さんは、前田さんの事例を話し終えると青木さんにこう言いました。

 

「自分は気が弱くて人の中で自信がない、と思いこんでいたんだ。まさかその奥にこんな怒りがあるなんて本人も驚きだったと思うよ。

 

これはセラピーをする上でもポイントなんだ。表面に出ている防衛反応、つまり、自分で自覚していたり人が『こんな人だなあ』と思う防衛反応(ストレス状態の時、自分を守ろうとして取る言動や思考のパターン)とは別に、人はもう一つ奥に、隠れた防衛反応を持っているんだ。

自分に自信がない、と自己否定的になっている人が心の奥に人を拒絶するような他者否定の怒りの感情を持っていたり、批判ばかりしている人が本当は自分に自信が持てないでいたり…というように全く正反対のものをね。

 

人が怖い、自信がないと思っていた前田さんの奥には人を拒絶する怒りをもった防衛反応が隠れていただろう?反対に、人のアラさがしばかりする、いつもブツブツ言って腹を立てている「怒り」を防衛反応として持っている人は、実は奥に弱い自分、深い悲しみや恐れの防衛反応を持っている、っていうことはよくあるんだ。

弱い犬ほどよく吠えるって言うだろう?犬に例えちゃあんまりだけどさ。

 

自分を守るための防衛反応自己否定-他者肯定タイプの「逃げる」自己肯定-他者否定タイプの「戦う」、この2種類あるんだ。簡単にいえば問題から逃げようとするタイプと、自分でなくて人が悪いとケンカするタイプって感じかな?

 

小さい頃に腹を立てたら、逆に大人から怒られたり、否定されたりする体験をすると(子どもは拒絶ととってしまうんだ)次からは違う感情を使って親に受け入れてもらおうとするっていう、子どもなりの本能的な決断なんだ。

逆もそうだよ。めそめそして叱られたら、強がったり怒りを表に出したりすることで受け入れてもらおうとするようになるってことさ。

受け入れてもらえなかった防衛反応と逆の防衛反応が、表向きの防衛反応として現れるんだけど、怒りっぽいとか消極的とかよく性格と言われているものがそうなんだ。

これがよくトラブルや本人の悩みの種になってるけど、本当の問題はこの隠された防衛反応目に見えない隠された決断のために起こっていることがほとんどなんだよ。」

 

一さんの説明に聞き入っていた青木さんは、はあーっとため息をつくと言いました。

「表面に出てる問題を解こうって思うだけでも難しいのに、その奥の奥に問題まで見抜かなきゃいけないんですね。私にできるかなあ…。」

 

自信無さ気にいう愛弟子に、一さんの一言。

「そりゃ、『できるかなあ』じゃなくて『しようとしません』って言いなおしたほうがいいなあ。」

絶句する青木さんにさらに一言。

「いつまでも、いると思うな、親と師匠(笑)」

「…つまり、できるかな、じゃなくて自分で何とかしろってことですね…」

「ま、習うことより、自分で考えたことのほうが身につくってことさ。」

あっけらかんと言う一さん。

 

「うちの師匠は奥が深いのか、放任なのか…どっちなんだろう??」

青木さんは師匠に聞こえるような独り言を言って、「考えてても仕方ないからコーヒー入れてきまーす!」と師匠の追及を逃れるようにクスッと笑いながらデスクを離れるのでした。

 
 
 
 





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