Season3-Cace06      「姿のない影」

隆浩井 | 2022年10月05日


          
                         Season3-Cace06      「姿のない影」

木枯らしが吹いて、温かいものが恋しい季節です。

湯気の立つおでんとちょっとぬるめの熱燗…仕事が終わってほっと一息ついた一(はじめ)さんの脳裏に浮かんだイメージは膨らむ一方です。

事務所を出て、家に向かおうとしていたつま先をくるりと反対に向け直すと、とうとう

一さんは携帯から自宅へ電話をかけて言いました。

 

「早苗(さなえ)?ごめん!!今晩のごはん、明日必ず食べるから…。」

と、そこまで言った時でした。

「…奴(やっこ)に行きたいんでしょ?」

…どうやら早苗さんの方が一枚上手のようです。

「…っ!えーっと…」

「いいわよ、その代り裏メニューのおかみさん特製白玉ぜんざい、テイクアウトお願いね。」

「…承知しました、奥さま。」

くすくすっという笑い声に見送られながら、一さんは奴(やっこ)に向かって足取りも軽く歩き出しました。

 

急に冷え込んだこの日、同じようなことを考えた人が思いのほか多かったようで、週末なのも手伝って、お店の中はお客さんであふれていました。

 

「いらっしゃい、鈴木さん。そろそろかなって思ってましたよ。」

忙しい手元はそのままに、一さんに向かってあいさつをすると、親父さんは「こっちにどうぞ」と一さんの気に入りのカウンターの右端の席におしぼりと突き出しを用意してくれました。甘辛く仕上がったレンコンのきんぴら。これも一さんの好物です。

 

「親父さん、おでん出来てる?」

「よーく味が染みてますよ。」

「やった!!じゃあ、大根とこんにゃく、それにすじとたまごね。それから、熱燗!」

「はいはい、ぬるめでしたね。」

親父さんはにっこり笑いながら、湯気の立つおでんの鍋から注文の品を選び出しました。

「はい、どうぞ。」

渡されたおでんを受け取り、さっそくからしを付けて大根をほおばる一さん。

「んーっ!うまい!」

間もなく運ばれてきた熱燗を一口すすると…もう、至福のひと時です。

 

と、その時でした。

「お隣、いいですか?」

テーブル席が満杯になったころ、仕事帰りなのでしょう、30代半ばくらいの女性が二人、のれんをくぐってすぐのカウンターの空席を見つけ、一さんに声をかけて来ました。

「どうぞ。今日はいっぱいですもんね。」気軽に応える一さんの向こうから親父さんが女性に声をかけました。

「おや、高木さんお久しぶりですね。そちらは同僚の方?」

高木さんと呼ばれた女性はええ、とうなづきながら隣のショートヘアの女性を紹介しました。

「一緒に仕事してる近藤千佳子(こんどうちかこ)さん。彼女、酒豪なのよぉ、親父さん美味しいの飲ませてあげて。」

 

席を並べて、お勧めの日本酒を注文し楽しそうにおしゃべりを始めた二人でしたが、しばらくすると、近藤さんの方からこんな話が出てきたのです。

 

「この頃、一人でいる時になんだか不安で不安でたまらなくなるのよ…何かあって落ち込んだりするなら分かるんだけど、特別なことがあったわけでもないのに…。

仕事変わってからやっと一通り覚えてほっとしたし、職場もみんないい人だからやりやすいし、きちんと本採用の仕事になって収入も安定したんだからホントだったら安心して落ち着くところなんだろうけど…」

「結婚が決まったからマリッジブルーになっちゃったんじゃないの?結婚して二人暮らしになったらそんなの吹っ飛んじゃうって!!」

高木さんが茶化すように言ったのにも納得がいかない様子で「うーん…そうかなあ…」

とつぶやく近藤さん。

 

近藤さんの様子が気にかかったのか、手のすいた親父さんが顔を上げて言いました。

「お隣に座ってらっしゃる鈴木さんは、心理をしている方だから聞いて見られたらいかがですか?」

その親父さんの助け船を聞いたとたん、熱燗にむせる一さん。

「えーっ!そうなんですか!すごーい!!」お酒のせいかもともとの明るい人なのか、少々興奮気味に高木さんが言うと、近藤さんが申し訳なさそうに「せっかく飲んでらっしゃるのに…」と遠慮がちに言いました。

 

「一本、おごりますからお願いできませんか?」

目くばせする親父さんに負けた一さんは近藤さんに向きなおると言いました。

「お役にたてればいいのですが…。」

 

 

「本当に、自分でもよく分からないんです…」そう前置きして近藤さんは話し始めました。

 

「半年前に今の仕事に変わって以来、人間関係もいいし、収入も増えて安定しました。

仕事の内容も、もともとやりたいと思っていたことだし、楽しいんです。

でも、いろんなことがうまく進みだしてホッとしたとたん、なんだか急に不安になってきて…。高木さんがマリッジブルーじゃないかって言ってましたけど、それだけではないような気がするんです、うまく説明できないんですが…」

黙って話を聞いていた一さんはうなづくと、こう聞きました。

 

「あなたが小さい頃、楽しく遊んだり、はしゃいでいたりする時に叱ったり、文句を言っていた人がいませんでしたか?」

一瞬、何でそんなことを聞かれるのだろう?といった表情をした近藤さんでしたが、思い当たる節があったようで、こう答えました。

 

「はい、同居していた父方の祖母がとても厳しい人でよく叱られていました。

『女の子は家の事ができないと』と言っては家の手伝いをするように言われ、小学校に上がる頃には家業の農業に駆り出される母の代わりに食事の支度をさせられたり、農繁期で忙しい時には一週間分お金を渡されて『これで一週間食事を作れ』と言われたり…やりくりできずにお金か足りなくなったりするとひどく叩かれることもありました…。

母も姑(しゅうとめ)である祖母には逆らえず、父も祖母の言いなりでしたから誰にもかばってもらえず本当に辛かったです。母は布団に入ってからよく『ごめんね』と言ってはくれましたが…。

 

友達と遊んでいても、ゆっくり本を読もうとしていても、『そんな暇があるなら家のことを手伝え』と叱られましたし、私が母方の顔立ちだったため、祖母にとってはかわいく思えなかったのもあったようですが、とにかくよく叱られました。もう、亡くなってしまいましたから、叱られることはありませんけど…。」

「そうですか…」うなづくと一さんは後ろを振り向いて言いました。

 

「ほら、お店ののれんの向こう、あなたのおばあちゃんが覗いてますよ。あなたが楽しそうにしているのを腹立しそうな顔をしてこっちを見てるじゃないですか。」

「まさかそんなこと…」そう言ってくすくす笑い出した近藤さんでしたが、徐々に肩が震えだしたかと思うと、彼女の頬には涙がこぼれてきたのです。

そのまま、わんわん泣き出した彼女に一瞬お店のお客さんが振り返りましたが、高木さんが「すみません、泣き上戸なもので…」と頭を下げると、何事もなかったように元の賑やかさが戻って来ました。

みんなが楽しそうに話している温かいざわめきに中で、近藤さんは泣きました。子どものように周りの目もはばからずに…。

 

高木さんに背中をなでられながら、突っ伏して泣いていた近藤さんが顔をあげて、親父さんがそっと渡してくれたあったかいおしぼりで顔を拭ったのは、一さんの前の熱燗がすっかり冷たくなった頃でした。

「すみません、随分お騒がせしてしまって…」恐縮する彼女に親父さんはにっこり笑って「鈴木さんの分と一緒に、温かいのつけましょうかね。」と言って準備に取り掛かりました。

 

「まさか自分がまだこんなに過去にとらわれているなんて、思いもしませんでした。」

向きなおっていう近藤さんに、一さんは言いました。

 

「あなたは未だに楽しんだり、幸せになりかかったりすると、おばあちゃんに邪魔される、幸せを壊されると不安になっていたんですよ。だから、かえって大変な時の方が不幸だと思いながらも精神的には安定していたと思いますよ。思い当たる節はありませんか?

もう、あの頃の小さなあなたではないのですから、そろそろ姿のないおばあちゃんの影に振り回されることから自分を解放してあげたらどうですか?」

 

近藤さんは、すっきりとした顔をしてうなづきました。

「幸せに向かっているのに不安になるなんて…と思ってはいたんですけど、まさかこんな小さい頃のことが影響してるなんて…私は未だに祖母を恐れていたんですね。もう、30年も昔のことなのに。自分のことながら、なんだか哀れでなりません。

でも、もう大人なんだし、あの頃の祖母より私が強いはずですよね?しっかり自分で自分を守ってあげなきゃ、ですね。」

その顔は心なしか表情にも明るさが増し自信があふれているように見えます。

 

「さすが、鈴木さん。いつもながらお見事ですね。なんでちょっと聞いただけで分かってしまうのかいつも不思議なんですけどね。

さ、お礼の分ですよ。どうぞ。冷めてしまった分もつけますから飲み直してってください。」

突き出し代りに親父さんがサービスしてくれた冷たいもずく酢をすすって、飲み直しにかかった一さんに高木さんが話しかけます。

「本当に一瞬なんですね…カウンセリング受ける時にはなんでも洗いざらい話さなきゃいけないんだって勘違いしてました、私。」

温かい熱燗にしみじみ幸せを感じながら一さんは言いました。

「ほとんどが10歳以下の出来事が影響してますし、脳がどんな防衛のパターンを持っているか分かれば、自然とその人の人生の脚本が分かるものなんですよ。」

さらに聞きたがる高木さんに「さあさ、飲み直しましょ!今日はいい気分だから、私がおごるから!」と近藤さんが一さんに目配せしながら高木さんを引き取ります。

「そうだった、千佳子の馴初め話とのろけ話を思いっきり聞いてあげなくちゃって誘ったんだったんだから!さあ、私を差し置いて年下の営業くんをひっかけた手口、たっぷり聞かせてもらうからね!」

「あ、人聞きの悪い。もう、おごるの考えようかなあ?」

そんな軽口をたたきながら、近藤さんは笑っていました。

 

すっかり、明るい雰囲気に戻った二人を嬉しそうに見ながら、親父さんは一さんに声をかけました。

「鈴木さん、かみさん特製白玉ぜんざい、後で包んどきますから奥さんに持ってってください。」

「あ、そうだった、すっかり忘れてた。親父さんなんで僕が早苗に頼まれたの知ってんの?」

親父さんがにっこりして言うことには…

「なに、長年の経験と鈴木さんの行動パターンを把握してれば、おのずと答えは出てきますよ。」

セラピスト顔負けの親父さんでした。

 

 
 
 





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