夏休みが終わった、とはいってもまだまだ暑い日が続いている日曜日のことでした。
特急で5駅ほど離れた隣の県に住んでいる早苗(さなえ)さんのお姉さんの恵理子(えりこ)さんが長男の結婚が決まった、と招待状を持って報告がてら遊びにやって来ました。
お互い子どもが大きくなってからはなかなか会う機会も少なくなっていたのですが、もともと仲のいい姉妹で、間に次女の君枝(きみえ)さんを挟んだ3姉妹は小さいころから近所でも評判の美人姉妹だったのよ、と恵理子さんが度々婚約中だった一(はじめ)さんに話すほどでした。
地元で評判のケーキ屋さんで買ってきたというお土産のケーキを早苗さんに渡しながら、恵理子さんは会わない間にずいぶん大きくなった仁実(ひとみ)を見て言いました。
「まあ、随分大きくなったわね、仁実ちゃん。すっかり女の子らしくなって!お母さんのお手伝い、しっかりしてる?女の子は将来困らないようにしっかりお手伝いしておかなくっちゃね。」
そんな話をしていた時でした。部活を終えた一輝(かずき)がいつもの調子で戻ってきたのです。
「たっだいまー!母ちゃん、お腹すいたー…あれ、恵理子おばちゃん来てたんだ。何事?」
屈託なく話しかけてくる一輝に、「おばちゃん、おいしいケーキ買ってきたから手を洗っておいで。」といいながら、恵理子さんは仁実に言ったのです。
「ほらほら、お兄ちゃんの荷物片付けるの手伝ってあげなさい、仁実ちゃん。それから、みんなのお皿とフォークをママからもらってきて。」
「はあい」と返事をした仁実が立ち上がってキッチンからお皿を取ってくるのと、大急ぎで着替えて手を洗った一輝がリビングに戻ってくるのがほぼ同時くらいでした。
コーヒーをいれた早苗さんが「姉さん相変わらずね。」と言いながらみんなの前にカップを置くと同時に、「早く、早く!」と一輝が矢のような催促です。
「はいはい。」笑いながら恵理子さんがケーキの箱を開け一つずつお皿にのせていきます。
イチゴショートにチョコレートケーキ、チーズケーキ、モンブラン…その中で一つだけあった果物のたくさんのったタルト、そのひとつに一輝と仁実が一緒に手を伸ばしました。
「あーお兄ちゃん、それ私の!」
「何いってんの、おれの方が早かったって。早いもん勝ち!」
まるで幼稚園児のようなおやつの取り合いに、苦笑しながら早苗さんが「お兄ちゃんなんだから…」と一輝に譲らせようとした時でした。恵理子さんが言ったのです。
「それ、お店の一番人気で今日はもう一つしか残ってなかったのよ。ごめんね。仁実ちゃんには悪いけど、また買ってきてあげるから今日は部活でがんばってきたお兄ちゃんに譲ってあげなさい。ね?女の子はやさしくなくっちゃ。」
ふくれっ面の仁実を尻目に、やったー!とばかりにお皿を引き寄せる一輝。
ちょっとした波乱に見舞われながらも、こうしてティータイムが始まったのでした…
恵理子さんは久しぶりなのも手伝って、とても楽しそうに近況を話してくれました。
「達彦(たつひこ)のお嫁さんになる子、美希(みき)ちゃんっていうんだけどとってもいい子なのよ。
今時の子にしては控えめだし、お料理や家の中のこと好きなんですって。本当にいい子をみつけてくれたって主人と喜んでるのよ。あとは友里恵(ゆりえ)がお嫁に行ってくれればねえ…
肩の荷が下りるんだけど。男の人は面倒だからしばらくいいわ、なんて言って、ちっともその気になってくれないのよ…困ったもんね。
小さい頃からお料理もお裁縫(さいほう)も、女の子に必要なことは一通り全部教え込んであげたのに本人がこれじゃあね…。」
はーっとため息をつきながら恵理子さんが言いました。
「付き合っている人はいるようなんだけど、いつもちょっとしたことでけんかになったり、仲たがいしてしまったりするみたいで、なかなか続かないのよねえ。親バカかもしれないけど、しっかりしてるし家事も一通りできるし、結婚するにはいい子だと思ってるんだけど、しっかりしすぎてて気性が強すぎるのかしら?」
久しぶりの再会を満喫して恵理子さんが帰った後、夕食の時、仁実がぽつりと言いました。
「恵理子おばちゃん、仁実にばっかりお手伝いさせたり、我慢させたりするんだもん、ずるいよ。お兄ちゃんばっかりいい目に会って!」
それを聞いていた瑠実(るみ)も同調します。
「私留守でよかった!昔会った時もそうだったよ、『瑠実ちゃん、お手伝いして』『ほら、かずくんに譲ってあげなさい』っていっつも言われてたよ。達彦兄ちゃんと一輝ばっかり後片付けしなくても怒られなくって、私と友里ちゃんで片付けさせられたりして…」
「そんなこともあったっけ…そうか…!!」相槌(あいづち)を打った後、何か思いついた様子の一さん。
一人で納得した様子でつぶやいていましたが、みんなは「あ、お仕事モード…」と心得ていてその思考を邪魔しないように、でも和気あいあいと夕食を楽しんだのでした。
数ヶ月後、甥っ子の結婚式のため、一さん一家は家族そろって式場に向かっていました。
ドライブ感覚で2時間ちょっとの道のりを楽しんでいると、小高い山の中腹に会場の教会が見えてきました。
「すごく、景色のいいところねえ。最近できたところなのかしら?」
車が山を登っていくにつれて、緑の濃い景色に囲まれ、視界の開けた中腹からは海を垣間見ることもできました。
式場につくと、妹の友里恵さんが案内するために待っていてくれました。
「お久しぶりでーす!おじさん、おばさんも元気そう!わあー!仁実もこんなにおっきくなって!後で花嫁さんのお支度、見に連れてってあげるね。瑠実も一緒に行こう!」
小さいころと変わらず、明るく面倒見のいい友里恵さんは早速先頭にたって、親族の控室にみんなを案内します。
「まだ早いから、うちの家族しかいないけど、ゆっくりしてて。あ、一輝はもうお腹すいてるんでしょ?何か軽く食べられる物と飲物もらってくるね!」
くるくるとよく動き、みんなの世話を焼く友里恵さんは、トレーに人数分のお茶とお菓子を乗せて戻ってくると「どうぞ!」とテーブルの上にトレーを置きました。
早速、お菓子に手を伸ばす一輝を見てほほ笑むと、自分の支度の仕上げに行った瑠実と仁実が戻ってくる間に友里恵さんは一さん夫婦の前の椅子に腰かけ話し始めました。
「ずいぶんあってなかったですよねえ。仁実が小学校に上がってすぐくらいだったから4-5年かな?私ももう30代の方が近くなってきてるし、お母さんがうるさくって…
そりゃ私だって結婚にはあこがれるけどなかなか一人の人と長続きしないのよね、飽きっぽいのかな。
なんか、付き合っても、付き合ってもうまくいかなくって最近はしばらくいいやって感じ。
一おじさんのとこにも、結婚したいんですけど、長続きしなくって、ていう人相談に来る?」
ふんふん、と話を聞いていた一さんは言いました。
「そうだなあ、そう言って来る人もいないわけじゃないけど、人間関係とか、男性への不信感とか、人の中に入ることとかのトラウマを解決していくと自然にいい人に巡り合って結婚しますって報告してくれることも多いよ。」
「おじさん、私にも何かトラウマがあると思う?」
心配そうに尋ねる友里恵さんににこっと笑いながら一さんは言いました。
「そりゃ、大きいことばっかりじゃなくってこまごましたことはない人の方がないくらいさ。叩いてしまえば簡単にやっつけられるゴキブリを女の人があんなに怖がるのもそうだよ。お母さんが、ゴキブリが出てくるたびに、きゃーきゃー言うのを見て育つと、『お母さんがパニックになるくらいゴキブリって怖いんだ』って子どもは思うんだよ。」
「へえ、おもしろいね。」
「友里恵の交際が長続きしないのも、何かの思い込みがあるのかもしれないね。友里恵は結婚とか、男の人ってどんな感じ?」
「んーと、付き合う前はドキドキするんだけど、付き合い始めるとドキドキっていうよりめんどくさいかな?だって、男の人って何にもしないでしょ。結婚って女の人の方が家事とか大変だし、何か一人の方が楽なんじゃないかって思っちゃうんだよね。そりゃ、ずっと一人はさびしいかなっては思うけどね。今はいいかなあ…」
友里恵さんがそういうのを見て、一さんはこう言ってみたのです。
「お母さんが招待状持ってきてくれた時なんだけど、夕飯食べながら仁実が言ったんだ。
『仁実ばっかりお手伝いさせられて、お兄ちゃんの分も片付けさせられて嫌だった。お兄ちゃんはずるい!』ってね。」
そういったとたんでした。友里恵さんの目からぽろっと涙がこぼれたのです。
「あれ?!なんでだろ?涙が出るなんて…私、お兄ちゃんの結婚式で興奮してるのかな?」
一さんが優しくいいました。
「友里恵、仁実の話どう感じた?涙はなんて言ってる?」
友里恵さんはゆっくり目を閉じて何か考えているようでした。そして言ったのです。
「ああ、小さい頃の私みたい、かわいそう。お母さんったらよそでもこんなこと言って!仁実が怒って当然よね…。
女の子だからお片付けできないとって私ばっかりお手伝いを言いつけられて、お兄ちゃんの分までお片付けさせられて、私とっても嫌だった…。
…そうか、私それにとっても腹がったってたんだ!いつも、いつも私ばっかりって!今思い出したよ、一おじちゃん。」
不思議と腹が立っていたのを思い出したとたん、友里恵さんの涙は止まっていました。
「そうだね、友里恵。女の子だからって自分だけお手伝いやお片付けをするように言われたら嫌だよね。男の子はしなくていい、お母さんの言葉を小さかった友里恵はそう取ってしまったんだね。
男の人は何にもしない、お世話を焼かなくてはいけないから大変…友里恵はそう思って、もうたくさんだって思いこんでいたんだよ。
付き合う度に面倒に思っていたのもそれだと思うよ。今まで大変だったね。でもこれからは違うはずだよ、きっと面倒みてあげなくっても大丈夫な自律した人に魅力を感じるようになるはずだから…
でもね、友里恵、お母さんだって良かれと思ってそうしつけてくれたんだから、許してあげようね。」
パタパタと足音がして、二人が帰って来ました。
「準備おっけーい!!友里姉、お嫁さん見に連れてって!」
仁実と瑠実のおねだりにイスから立ち上がると、友里恵さんは言いました。
「仁実ごめんね…そして、気付かせてくれてありがとう!!」
二人は「??」と目を点にしていましたが、早苗さんのウインクを見て何かが解決したんだなあと察しにこっと顔を見合わせました。
「行こ!友里姉!!」
両方から手を引かれながら、友里恵さんはかけていきました。
抜けるような青空のもとで、教会の扉が開き、純白のウエディングドレス姿の花嫁さんとモーニング姿の花婿さんが出てきました。
「おめでとうー!!」
みんなに祝福の言葉とライスシャワーとたくさんの花びらをかけられながら、にこにこと微笑み顔を見合わせる二人。
二人が友里恵さんの前まで来た時でした。
「お兄ちゃん、あんまり美希さんに世話焼かせないようにねっ!!」
そう声をかける友里恵さんの声は弾んでいました。
一さんは早苗さんと目配せをして、そんな友里恵さんの姿を見てほほ笑んで言いました。
「次はあんまり立たないうちに、友里恵の結婚式にご招待されるかもね?」