一(はじめ)さんはニュースにとても興味があり、新聞やテレビのニュース番組、ドキュメント番組をよく好んで見ています。カウンセリングやセラピーをする上で世の中の流れや思想の変化を知ることはとても役に立つのですが、それ以上に自分の専門外のことや新しいもの、考え方を知ることが楽しくてならないのです。
「僕は学校の成績はいまいちだったけど、雑学にはちょっと自信があるんだ。」と自分で言うだけあって、なんでこんなことまで知ってるの?と早苗(さなえ)さんがあきれるくらい妙なことまでよく知っています。
そんなわけで、夜のテレビのチャンネル権は家長の特権(!?)なのか、皆、一さんのものと思っている節があり、鈴木家ではよくニュース番組やドキュメント番組を見ています。
長女の瑠実(るみ)が一番一さんの気質を受け継いでいるのか、そんな番組を見ながら意見を言い合ったり、その現象を心理的にみるとどう読み解けるのか…といったことを聞いたりすることが好きなようで、この二人はよくテレビを見てはああでもない、こうでもないと言っている姿をよく見かけます。
今日もここのところの不況でのリストラや所得や教育の格差、仕事がなくホームレスになった人の話といった番組があっていて二人は時々意見を交わしながらテレビに見入っていました。
「ねえ、お父さん。これって社会の構造とかシステムだけの問題なのかなあ…心理的なものが関わっていること考えられる?」
「そうだなあ…」一さんは考えながら言いました。
「確かに今の不況はリストラとか派遣切りとかを引き起こしてて、雇われている側としてはどうしようもない部分もあるよね。仕事をしたくても仕事がない、働けるのに働く場所がない…これって社会にも問題あるだろうね。でも、社会っていっても個人個人の集まりだから一人一人の心理的な問題を解決することで世の中がよくなるはずだよ。」
「でも、お金がないって、働く以外どうしようもないものだよね?」
そう、瑠実がいった時でした。一さんから意外な言葉が返ってきたのです。
「うーん、それがそうでもないんだなあ…カウンセリングでお金持ちになるっていうか、貧乏することをやめるってことは実際あるんだ。」
瑠実の眼がらんらんと輝きます。
「ね、ね、お父さん!それってどういうこと?教えて!!」
「また、瑠実の教えてが始まったなあ。しようがないなあ…」口ではそういいながらも
一さんはまんざらでもなさそうです。まさに早苗さんの言う「セラピーおたく親子」ということなのでしょう。
そういうわけで今夜も鈴木家では即席心理学講座が始まったのでした。
「この前、同窓会に行った時なんだけど、結構仲が良かった女の子がいつもお金に苦労して大変だって話をしてきたんだ。」
その女性は弘子(ひろこ)さんという小学校の時の同級生でした。まだ、一さんたちが小学生の頃ですから、どこのお家も似たり寄ったりでそんなに裕福なお家はなかった時代でした。
弘子さんのお家も他とあまり変わらないお家で兄弟が5人、お父さんは大工さんで、お母さんは主婦をしながら頼まれれば着物や洋服の仕立て直しをしていくらかの収入を得ている、というお家でした。
弘子さんのお母さんはいつもくるくる、よく働く人で「忙しい忙しい」と「お金がない」が口癖でした。弘子さんは小さいながらも「うちは貧乏でお母さんは苦労しているんだ。」と思い、そんなお母さんを一生懸命心配し気遣う優しい子だったのです。
その後、弘子さんは結婚し、共働きもして裕福な家庭を作ったはずなのですが、なぜかお金の気苦労が絶えないというのです。ご主人もサラリーマンで定期的に収入があり、
ボーナスもそこそこあるし、家計はそれで十二分、ぜいたくを言わなければ多少のゆとりもあるくらいでした。
それに弘子さんのパートの収入を加えれば、当然十分な蓄えもできるはずでした。
でも、そうはならなかったのです…。
弘子さんはもともと明るい姉御肌、面倒見のいいタイプの人で、何かというとみんなにおごったりプレゼントしたり、と振舞うことが大好きでした。
手元にお金があるとついつい気前よくおごってしまい、また、そうしてあげることが大好きだったのです。その他にも、ゆとりがあるとつい余分なものまで買ってしまったり、つい「自分にご褒美してもいいよね」とぜいたくしてしまったり…、それで使ってしまっても「また稼げばいいし。」と思い、若い時はそう気にもならなかったといいます。
そんな感じで過ごしているうちに、子どもが生れ、弘子さんはパートに出られなくなりました。
ご主人の給料が上がった分それほど困りはしませんでしたが、確実に収入は減り、支出は徐々に増えていたのですが、まだそれほど大変だとは思っていませんでした。
弘子さんは以前と変わらず、気前はよく、ちょっとしたぜいたくも「たまにはいいよね」と止まらなかったのです。
同窓会の席で、弘子さんは言いました。
「あれだけ主人のお給料もあったはずなのに、手元に残らなくって。あると無くなるまで使ってしまうのよね…これって鈴木君の仕事で言うと、買い物依存症とでも言うのかなあ…もう、やめなくっちゃって思うのに、みんなにおごってあげるのも楽しいし、買い物するのも楽しいし、つい、まあいいかって思ってしまうのよ…私ってだめねえ。
最近は後でいやな気持になるって分かってるのに、やめられないのよ。
子どもも大きくなって仕送りとか学費とか大変になってきたし、将来の結婚のために少しくらい援助してあげたいし、老後のことだって考えないといけないのにね…。
そう思っているのに、ついついぜいたくしてしまってお金使ってしまって。すると、将来のことが不安になってきてなんだか息苦しくなってくるの。なのに、また手元にお金が入ると忘れてしまったみたいに使ってしまって、もうそんなに長生きしなくってもいいなんて思えてくるの。私どうかしてるのかしら。」
一さんの仕事のことを知って、軽い気持ちで話しはじめたのでしょうが、話しているうちにだんだん深刻になってきた様子の弘子さんに、一さんは言いました。
「それって『貧乏ゲーム』っていうんだよ。」
一瞬、何の事だか分からないといった顔をした後、弘子さんは身を乗り出すようにして
「それって何?!」と聞きました。
「弘ちゃんのお母さんは口癖のようにお金がないお金がないって言ってったって言っただろう?それで弘ちゃんには『お金はお母さんをこんなに苦しめる嫌なものだ』って刷り込まれたんだと思うよ。お金を恨んでるっていてもいいかもね。だから稼いでも、稼いでも、ある分だけ使ってしまって、小さな頃の思い込み『お金は嫌なものだ』という思いを強化するんだよ。」
そこまで話すと、弘子さんは納得いかないといった様子で言いました。
「そんなことないよ、私、お金あったらうれしいし。それになんで小さい頃の思い込みを強化しなきゃいけないの?」
「そりゃ、意識の部分ではみんなお金があったほうが嬉しいさ。
でも脳が未熟で客観的な判断ができない子どもの頃に刷り込まれた思い込みは、脳にとっては生き延びていくための決断なんだ。守らなかったら命にかかわるって思うほどのね。だからお金が欲しいと頭では思うのに、度が過ぎるほどの無駄遣いしたり人におごってしまったり、あるだけぜいたくしてしまったりして『やっぱりお金は人を苦しめる物だ』という思いを強めていくんだよ。脳の無意識の部分がその思い込みを守ることが安全って思ってるからね。
大人になって客観的な脳から見たら間違ってるって分かるのに、子どもの頃の思い込みの通りにした方が安全だ、と古い無意識の脳がいうのさ。だから思い込みを強化して安全を確保しようとするんだよ。」
一さんの言葉にわかったような、分からないようなといった顔をして、弘子さんは言いました。
「それって、止める方法はあるの?」
「うん。僕のところでは、小さいころにその思い込みの原因になった出来事を再体験して決断を修正するワークをしたり、自分の客観的な脳から思い込みを分析しながら、自分の傷をいやしていく方法を教えたりしているよ。
おかねへのネガティブな思い込みが解けると、自然と無駄遣いをやめることができるんだ。
でも、自分の浪費の原因が、小さい頃の思い込みでお金に苦労するように無意識に行動しているっていうことが分かるだけでもずいぶん違うはずだよ。お母さんがお金に苦労していても私はそうならないで幸せになるぞって、そろそろ思ってもいいんじゃない?自分を幸せにしてあげたら?」
弘子さんはハッとした顔をして、一さんの顔を見つめていましたが、一さんの優しいまなざしを見て、涙ぐんで小さくうなずいていました…
「貧乏ゲームかあ…小さい頃育った環境って、やっぱりすごい影響があるんだね…お金にわざわざ苦労するように自分でするなんて。」
「そうなんだ。貧乏ゲームをする人は、稼いでも手元にあると無くなるまで使ってしまって、そうなると不安になったり落ち込んだりすることなんだ。でも、またお金が手にに入ると、ネガティブな気持は吹っ飛んでしまって全部使ってしまう。それを繰り返してしまうんだ。
浪費やぜいたくばかりじゃなくって人に振舞うことを過剰にやり続けたり、お金がなくてもローンや借金をしてでも買ってしまったり、お小遣いの範囲以上にギャンブルにのめりこんだりとかね。
商売の人なんか、もう少し頑張ればもっと稼げるのに、ギリギリの分稼いだら働かなくなってしまって、ゆとりのない生活をしてしまったり、とかする人もいたな。
ホントにいろんな形で出てくるんだ。
今がよければいい…と将来のために備えずに使い切ってしまうというのも、そんなトラウマを持っている人がかなりいると思うよ。