Season3-Cace08      「お姉ちゃんって呼ばないで」

隆浩井 | 2022年10月05日


          
                         Season3-Cace08      「お姉ちゃんって呼ばないで」

「明日の休み、何しようかなぁ?ゆっくりビデオでも見ながらおうちで過ごすのもいいし、お天気が良ければお出かけするのもいいよね。明日が休みっていうだけでわくわくするなあ…。

久々にバイトの休みも重なってるし、やっぱりどこか出かけないともったいないかな…。」

 

土曜日の朝、みんなが遅めの朝食を食べていた時バイトに出かけようとしていた瑠実(るみ)がだれに話しかけるともなく話し出したのです。

「えーっ、お姉ちゃん明日バイトお休みなの?それじゃ、仁実(ひとみ)と一緒にお洋服見に街まで行こうよぉ!急がないとバーゲン、かわいいのなくなっちゃうよ!!」

ショッピングの連れができたとばかりに喜んで瑠実を誘う仁実に、「うん、友達と予定が合わなかったらいいよ。じゃ、行ってくるね!」と返事をすると、瑠実は上機嫌でバイトに出かけて行きました。

「さ、明日心おきなくお出かけできるように宿題、すませとかなくっちゃ!」

そういうと、仁実も残りのトーストを牛乳で流し込むと部屋に引き揚げていきます。

一輝(かずき)は早くから部活に出かけていて、仁実が出て行ってしまうとリビングは急に静かになってしまいました。

静けさの戻ったリビングで、一人取り残されたような格好となった一(はじめ)さんはゆっくりと新聞を眺めながら残りの朝食を食べ終わるとキッチンで後片付けをしている早苗さんに声をかけました。

「早苗(さなえ)、コーヒーもう一杯くれる?」

 

新しく入れてもらったコーヒーを飲みながら一さんは早苗さんに話しかけていました。

「瑠実は明日の休みとても楽しみにしてるみたいだね。」

「そうね、久しぶりに週末にバイトの休みも重なってるみたいだし、お年玉ももらったことだしだし、もちろんバーゲンもあるしね。やりたいことてんこ盛りって感じかな?」早苗さんがクスッと笑いながら言いました。

「ほんと、余暇を楽しむためにバイトしてるって感じだな。世の中にはワーカホリックなんかでゆっくり休みを楽しめない人も結構いるから、いいことだよ、休みを満喫できるのは。」

そういって土曜の朝の余暇をゆっくり味わっている一さんを見ながら、早苗さんは、思い当たる節があったようでこう言ったのです。

「お休みになると落ち着かないっていう人、昔一緒に仕事してた同僚の人にもいたわ。

年配の男の人だったけど、休みの日はなんだか落ち着かなくって、ゆっくりするのに罪悪感があるって言ってたことがあったなあ…休みに気持ち的にゆっくりできないなんて、なんだかかわいそうよね。」

そういう早苗さんに一さんは言いました。

「小さい時に子どもをやめちゃっている人に、そういう人多いんだよ。遊ぶことより家の手伝いばかりさせられたり、親のほうが子どもみたいでわがまま言って子どものほうが精神的に面倒見ていたり、兄弟がたくさんいて早くから甘えることをあきらめなくてはいけなかったり、とかね。子どもの時に純粋に子どもでいることができることって本当に幸せなことなんだ。大人になってからだって子どもの時みたいにいろんなことに感動して、泣いたり笑ったり人生を楽しんでいけるのは「子どもの心」を持っているからなんだよ。子どもであってはいけないっていうトラウマは人生を楽しんではいけないというのとほぼ同じだって言えるだろうね。それって寂しいことだよね。」

そういいながら、一さんはあるクライエントのことを思い出していました。

 

山下美沙子(やましたみさこ)さんは5人兄弟の長女でした。小さい頃から弟や妹の面倒を見、家事の手伝いをして共働きの両親を助けてきた、と話す彼女は体の疲れが取れなくて困っていると相談に来ました。

現在、49歳の彼女は両親と同じように共働きをしながら3人の子どもを育てているお母さんですが、休みの日にゆっくり休もうとは思うものの、何もしないことにとても罪悪感をもってしまう、というのです。

子どもたちもある程度大きくなって、「お母さん、たまにはゆっくり旅行でも行ってくれば?」と気遣ってくれるのですが、休んだり、遊びに行ったりすること自体を楽しめないというのです。

 

 

「なんて言うのか、貧乏症なんでしょうかねえ…若いころからゆっくりするとか遊びに行く、というのが落ち着かないというか苦手というか…、できない性分なんです。

休みの日にも職場に顔を出して残っている仕事をしてしまうこともよくあって、頼まれるとついつい、休みを返上して仕事を変わってあげたり、サービス残業をしたりするんです。自分でもわざわざ休みの日まで行かなくてもって思うこともあるんですが、かえってその方が、気分が落ち着く感じがするんです。

今までは別にそれでもいいかって思っていたんですけど、さすがに疲れが抜けなくなって来ていて、あんまりきついものですから病院にも行ってはみるのですけどどこにも異常はないって言われるばかりで…。精神的なストレスからではないかとおっしゃる先生がいらっしゃったので一度見ていただこうかと思って伺ったんです。

仕事漬けで子どもたちにもずいぶん寂しい思いをさせて来ましたし、ここらで少しゆっくり子どもと話したり、体の疲れを取らないと体を壊してしまうって頭では思うんですけど、休みになるとゆっくりしているのが辛くって。」

そういうと、美沙子さんは、はあーっとため息をつきました。

それまで、じっと話を聞いていた一さんは、彼女の前にイスを一つ置くと言いました。

「ここに、自分もまだ小さいのに小さな弟や妹の面倒を見て、忙しいお父さんやお母さんを精いっぱい気づかっている女の子がいます。まだ、小学校の低学年くらいでしょうか…。

あなたには、どう見えますか?」

美沙子さんは、じっと目を凝らしてイスを見つめていましたが、しばらくするといいました。

「よくお手伝いをしてえらいなって思います。かわいそうだけど両親が忙しいから大きい子が手伝うのは仕方がないですよね…」

「じゃあ、あの子に向かって『お姉ちゃん、お手伝いえらいね。これからもいっぱいがんばってお父さんとお母さんを助けてあげてね。』って声をかけてあげてください。」

美沙子さんは怪訝(けげん)な顔をしながらも、言われたとおり目の前のイスに向かって声をかけたのです。

「お姉ちゃん、お手伝いえらいね。これからもいっぱいがんばってお父さんとお母さんを助けてあげてね。」

 

それを見届けた後、一さんはこう言いました。

「その子、どんな顔してますか?」

「?」よく分からない、といった表情をした美沙子さんに、一さんは女の子のイスに座るように促しました。そしてこう言ったのです。

「この人が『お姉ちゃん、えらいね。』ってほめてくれて、もっとがんばってねって言ってるけど、美沙子ちゃんどんな気持ち?」

「美沙子ちゃん」と子どものように呼ばれたとたん、彼女の眼に涙があふれて来ました。

 

「もうヤダ!!もうやめて!!お姉ちゃんって呼ばないでよ…私は、美沙子だもん…美沙子だって本当はもっとお母さんに甘えたいよぉ…ずっとずっと、我慢してたんだもん…!!」

 

美沙子さんは甘えたいのを「お姉ちゃんだから」「さすがお姉ちゃんだね」「お姉ちゃんは偉いね」と言われるうちに我慢してしまい、必死でお手伝いをしていた頃にすっかり引き戻されていました。

「…もう、お姉ちゃんは嫌だよぉ…」そう言ってしくしくと泣く美沙子さんに向かって一さんは優しく声をかけました。

「ずっと、我慢していたんだね。かわいそうだったね…美沙ちゃんがあんまりしっかりしているから、みんな子どもだってこと忘れてちゃって、甘えたりわがまま言ったり、思いっきり遊んだりしちゃいけないって美沙ちゃん自身も思い込んでしまったんだ。辛かったね。」

そう言ってしばらく、美沙子さんが小さな自分を思って泣くのをそっと見守っていました。

 

 

美沙子さんの涙が止まる頃、一さんは彼女を元のイスに座らせて言いました。

「美沙子ちゃんに、もう無理しなくてもいいよ、思った通りに遊んで楽しんでもいいよって言ってあげようよ。」

美沙子さんはうなづきながら、もう一度ハンカチで目を押さえると向かいのイスに向き直って言いました。

「美沙ちゃん、辛かったね。もう大丈夫、これからは私が守ってあげるから無理しなくっていいんだよ。美沙ちゃんがしたかったことをして、もっともっと楽しんでも誰も責めないから…私がさせないから…ゆっくりしようね…。」

 

 

また涙があふれてきた美沙子さんの頭をよしよし、というようにぽんぽんと軽く叩いて、一さんは言いました。

「美沙ちゃんはどんな顔をしてる?」

美沙子さんは後から後からあふれる涙を拭いもせずに、微笑みながら言いました。

「とても子どもらしい顔でにこにこしています…私はこの子を救うことができたんですね…。」

「そうですよ。これからは美沙子ちゃんに楽しいこといっぱいさせてあげてくださいね。」

そう言ってほほ笑む一さんに、美沙子さんは何度も何度も無言でうなずいていました…

 

 

 

「…ワーカホリックって、生真面目な人とか責任感の強い人がなるのかなって思ってたけど、そんな単純なことだけじゃなかったのね。大人ってついつい聞き分けのいい子や言ったことをよく聞く子のことをえらいねってほめちゃうけど、あんまり言いすぎると聞き分けのいい子は特にそれ以上自分の思いを言えなくなってしまって、我慢してしまうのね。

それが大きくなってもこんな形でその人を苦しめるなんて…小さい時の環境や大人たちの対応ってこんなにも影響が大きいのね。」

「子どもにはまだ客観性が足りないから、大人が思ってもみないところで思い込みを作ってしまったり、大人の思いを違う風に受け止めてしまったりってことが起こってくるんだ。

誰が悪いってわけじゃないんだけど、それで苦しみ続けるなんて悲しいことだよね。」

残ったコーヒーを飲み終えると、一さんは言いました。

「どうやらうちの子たちはみんな休みを思いっきり楽しめているみたいで、何よりだ。

さあ、天気がいいから僕も少し体を動かして来ようかな。(ペットの)二朗の散歩に行こうかな?それとも山歩きの方が気持ちいいかな?」

 

早速あれこれと休みの過ごし方を考えだす一さんに早苗さんは「あなたも『子どもであるな』トラウマはなさそうね。」とくすくす笑いながら言いました。

 

 

 

その晩の夕食時、バイトから帰って来た瑠実がふくれっ面で言いました。

「せっかく休みだから友達に連絡取ったのに、『どうしても気になる仕事があって出れない』って断られちゃったのよ!全くせっかくの休みに何してんだか…まさかこれってワーカホリックっていうの!?」

ものすごい勢いで訴える瑠実に圧倒されながら、一さんは言いました。

「…それだけじゃ何とも言えないけど。確かに仕事好きな人みたいだね…。」

「そうなのよ!全く、人と仕事とどっちが大事なのよ!あいつは!!」

あまりの剣幕に、ピンときた一さんはにんまりと笑って言いました。

「まあまあ、彼が仕事を優先したからって、そんなに怒るなよ。父ちゃんが小遣いやるから仁実と一緒に買い物で憂さ晴らしでもしてくれば?」

「そんなんじゃないってばー!!」

一瞬、ハッとした顔をして叫んだ瑠実の顔は本人の思惑を見事に裏切って真っ赤でした。

 

 

われ関せずともくもくと夕飯を口に運んでいた一輝が、ぼそりと言うには…

「姉ちゃん、語るに落ちたな。父ちゃんのカン、甘く見すぎ…。」

ということでした。

 

 
 














 

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