久しぶりにお昼からカウンセリングの予約が空いたある日のことでした。
(飼い犬の)二朗を連れ出し散歩を満喫した一(はじめ)さんは、ついでにシャンプーをしてあげようと思い立ち、お風呂場で嫌がる二朗と格闘していました。
お風呂中にシャンプーの泡を振りまいた上に、最後の仕上げとばかりに思いっきり体中の水分をふるい落としてくれた二朗のおかげでずぶぬれになった一さんが、自分もシャワーを浴びて、出てきたその時です。
「…ただいまぁ…」
何となく元気のない声と共に仁実(ひとみ)が帰ってきたのです。
「…おかえりー、何かあったの?」キッチンから顔をのぞかせて尋ねる早苗(さなえ)さんにも、
「んー、何でもない…」と答え、自分の部屋に向かう仁実。
着替え終えて、お風呂場から出てきて「お帰りー」と声をかける一さんと嬉しそうにしっぽを振る二朗にも、視線をちらっと向けて「ただいま…」とだけ言ったきり。
一さんと早苗さんが顔を見合せ、何かあったのだろうかと首をひねっていると二朗も真剣な(!?)表情で二人の間に首を突っ込んできます。
「そうか、お前も心配か?」よしよしと二朗の頭をなでながら、部屋に行ってみるべきか、しばらくそっとしておくべきか…セラピストといえども自分の愛娘となると、どうしていいのやら…そんな様子で、二人と一匹が思案していた時です。
バタン!と仁実の部屋のドアが勢いよく開き、涙目の仁実が出てきました。
キッチンから様子をうかがっていた二人と一匹は、亀のように首をすくめ顔を見合せます。
その前までずんずん歩いてくると、とたんにみんなの前に座り込みそのあとは、ただただ、しくしくと泣くばかり。
なだめすかし、二朗に頬をなめてもらい、やっと聞き出した涙の原因は、なんとも仁実らしいというか、かわいらしいというか…
「…パパ、どうして仁実の眼は一重なの?なんで、二重に産んでくれなかったの…」
おしゃれで人一倍身だしなみにも気づかいする仁実です、一重の目にコンプレックスを感じていることは一さんも、早苗さんもうすうすは知っていました。
自分自身が一重の早苗さんは仁実の思いがよくわかるだけに、何と言ってやっていいのやら、言葉が浮かばずにいました。
それでも、何とか言ってあげないと、「あのね、仁実…」と声をかけた時でした。
一さんがこういったのです。
「仁実は自分の眼が嫌いかい?」
即座に仁実は答えました。「うん、嫌い!二重のほうがぱっちりしてかわいいもん!」
「そっか…かわいそうになぁ…仁実の眼。」
「そうだ、仁実、自分の眼になってごらん。」
「??」
「私は仁実の眼です、って言って眼になりきってごらん。」
仁実は首をひねりながらもお父さんの言う通りに言いました。
「私は仁実の眼です。」
すると、一さんは仁実に向かってしゃべり始めました。
「仁実ちゃんの眼さん、もう何年仁実ちゃんと一緒にいるの?」
仁実は目になりきって答えます。「えーっと、11歳だから11年かな。」
さらに一さんは尋ねます。
「仁実ちゃんの眼さん、あなたは11年も仁実ちゃんのお顔について一生懸命仁実ちゃんのためにいろんなものを見せてあげてきたよね。りっぱだねえ。すごく働き者でえらいと思うんだけど、仁実ちゃんはあなたのことをどう思っていると思う?」
仁実は一瞬答えに詰まりながらも、眼になりきります。
「可愛くないから嫌いって思ってるみたい…」
「眼さん、どんな気持ち?」
仁実の眼にじわりと涙が浮かんできました。「…かなしい。」
「そうだね、悲しいね。こんなに一生懸命仁実ちゃんのために頑張っているのにね。」
眼になった仁実がうなずきます。
「仁実、どうだい、眼になってみて。自分の持ち主から嫌われてるって、どんな気持ちがした?お友達に『あなたの眼、一重で可愛くないから嫌い』なんてひどいこと、仁実は言わないだろう?どうして自分には言えるのかなぁ。」
仁実の表情がぱっと変わりました。「そっか、パパ。私、友達の眼が一重でも嫌いなんて思ってなかった…誰も私にそんなこと言わないし…」
一さんはにっこりして言いました。
「他の誰でもない、自分で自分のことをいじめて嫌ってるってことが分ったかい?人から何かを言われて落ち込んだり傷ついたりすることも確かにあるけれど、本当に自分に一番厳しいのは誰でもない自分なんだよ。自分の容姿に不満をもっている一部分の自分をいじめていることもあれば、存在自体を認めてあげれずに自分を自殺に追い込んでしまう人もいる。いじめられたから自殺するって遺書に書き残す人たちもいるけど、自分のことを本当に大事に思えて大好きって言える人は、誰が何と言っても自分で自分を死に追いやることはしないで踏みとどまれるはずさ。
パパは仁実のこと大好きだから、その一重の眼も大好きだよ。ママそっくりのかわいい眼だと思ってるよ。」
夕食は、その話題でもちきりでした。
「やっぱり、仁実も女の子ねぇ、服の好みもうるさいからそのうちいろいろ言い出すとは思ってたけどねえ。」と瑠実(るみ)が言えば、仁実も黙っていません。
「お姉ちゃんだっていっつも鏡の前で『この足がねえ…』とか『胸がもうちょい』とかいってるじゃない!」
そこに一輝(かずき)が乱入してくるものですから、もうたまりません。
「え?なになに、眼がどうしたって?ああ、仁実の眼ね!いいじゃん、一重だって。ちゃんとついてて見えるんだし。姉ちゃんだって足ついてて歩けるんだから十分じゃん。なんか問題あんの?女の子が思ってるほど、見かけに惑わされないって、男は!な、父ちゃん。」
瑠実と仁実が異口同音に一輝に食ってかかります。
「男みたいに単純じゃないの!女の子は!!」
一輝から話を振られた一さんが、この事態を一家の主として何とか鎮めないと…と、箸をおいて、お茶を一口すすり重々しく口を開きます。
「まあ、美人は三日で飽きて、不美人は三日でなれるっていうからな、顔の造りで一喜一憂しないで中身を・・・え??」
三人の女性群に鋭い視線を向けられていることを察知した一さんは、セラピスト以前に奥さんと娘を持つ身として、とんでもない失言をしてしまったことにやっと気付いたようでした。
「・・・な、一輝。男も中身だよな?」
ブーイングの嵐に巻き込まれそうな予感にそそくさと食事を済ませ、「二朗―!散歩行くぞー!!」と席を立つ一さんを見ながら、顔を見合せ噴き出す3人の女性群。
一さんが散歩に飛び出したあと、ひとしきり話が盛り上がった3人でしたが、ぼちぼち片づけないと、と席を立ちあがりました。
早苗さんはちょっと腑に落ちないことがあり、片づけに取りかかりながらもう一度仁実に尋ねてみました。
「仁実が一重の眼、気にしてるの知ってたけど、泣いて帰るくらいだから誰かに何か言われたりしたんじゃない?」
「…そんなんじゃないけど…」うつむきながら、顔を赤らめる仁実を見て、瑠実が話に割り込みます。
「もうすぐ、バレンタインだもんねぇ?仁実?」
妙に腑に落ちた顔をする早苗さんと、にやにや笑いを浮かべた瑠実の顔を交互に見て、
「もうっ!知らない!」と膨れる仁実。
「お父さん知ったら、泣くかもねー?」と早苗さんと瑠実が顔を見合わせクスッと笑った時でした。
「…ただいま…」とキッチンの入り口から、一さんが神妙な顔をのぞかせたのは。
そのまま、ふらふらとソファに座りこみ「パパが一番好きって言ってたのに…」とつぶやく一さんを見ながら、「ママ、後、よろしくー!!」と二人の娘は部屋へ急ぎます。
「もう、面倒なことはすぐママ任せなんだから…」
そうぼやきながらも、気つけ(!?)に、とおいしいコーヒーを淹れてあげようと、ポットをコンロに掛ける早苗さんでした。