禁止令について

私たちが幸せを感じ自己実現していく時に邪魔をするものの中に禁止令があります。

様々な心理学の中で言われる、トラウマ・ブロックなどとほぼ考え方は同じですが、ここでは交流分析をもとにしているため「禁止令」と呼ばせてもらいます。

人間の脳は安心・安全な環境に置かれると幸せに向かうようにできています。

しかし、大人にとっての安心安全がイコール子どもにとっての安心安全ではない場合があります。

虐待やネグレスト、いじめといったことだけでなく、大人が良かれと思ってすることの中にも子どもが安心安全でないと受け取ってしまうことがあるのです。

その「安心安全でないこと」から自分を守るために私達は禁止令を決断するのです。

 

厄介なのは小さい時の決断が大人になってもそのまま人生の決断として残ってしまい、気づかなければ一生同じ行動(人と関わらない・親しくならない・考えない・動けない…etc)をしてしまうというところです。

安心安全でないことから自分を守るために「海馬」という記憶に重要な役割を持つ脳の器官に記憶が固定され、同じようなパターンで危険から逃れようとしますが、大人になった今は必要ないものもたくさんあり、生きづらさの原因になっていることもあります。

トラウマはまるで小さな子どもが「そうしたら危ないよ」と思い込みから私たちを必死に守ろうとしているようなものです。

「今ここ」に生きている私たちが気づき、手放すことで生きやすくなるはずです。

一緒に見つけて一つずつ手放していきましょう。


禁止令

・存在そのものに対するもの

「存在するな」

自分には価値がない・役立たず・愛される価値がないという思いが強く、何かあるたびに死にたい・消えたいという思いが出てくる人はこの禁止令がある可能性が高いです。

自分の存在そのものを否定しているため、ここを解決しないと他のどの禁止令も解決に向かわず、薬やセラピーの効果がなかなかでません。

まず、死にたい・消えたいと思うことがないかを確認することが必要です。

うつになる人や自殺未遂をする人はほぼこの禁止令があると言ってよいでしょう。

 

「お前の性であるな」

親から違う性を望まれていたり、男の子に女性的な優しさや気配り、女の子に家長的な役割を求め、男のようにしっかりしなければと思わせたりすることでこの禁止令を決断します。

自分の性別を受け入れられないということは自分の存在を否定することと同じであるため、この禁止令を持つ人は人からのほめ言葉を受け取ることが苦手です。(そんなことないです・私なんてまだまだです…など)

様々なことを成しとげるが達成感がない

いつも何かが足らないような感覚を持ってしまう

…といったことを感じる人が多いようです。

 

・対人関係に関するもの

「近づくな」

子どもが心身ともに健やかに成長するために満たしてあげなくてはならないものに刺激の飢え・承認の飢え・構造の飢えという3つの「飢え」があります。

刺激の飢え…抱っこやおんぶ、触れてもらうことで満たされます。赤ちゃんは全く触れられないと脊髄が縮んで死んでしまうとも言われ、触れることは成長も促すことが明らかにされています。

承認の飢え…子どもは自分の周りに呼びかければ答えてくれる、いつも近くにいて認めてくれる存在(親や周りの大人)がいるとことを理解できると安心し、安全を感じ、満たされます。

構造の飢え…自分の中にまだ基準を持たない子どもはルーティンがあると安心します。(寝る時に必ずすることがあるとか、お気に入りの毛布やぬいぐるみがてばなせないとか、小さい子あるあるですね)

朝起きてご飯を食べ、活動し、家に帰るとお風呂に入り家族と食事をし、だんらんをともにして、暖かい布団に入って眠る…といったように「いつ・どこで・誰と・どのように」過ごすか、これがある程度決まっていると人は安心できるのです。

この3つの飢えを満たされないで大きくなると、人に近づくことや一緒に何かをすることに安心安全を感じることができず、コミュニケーションがうまく取れなくなってしまう可能性があります。

親にかまってもらいたくて近づいたときに、「あっちに行ってなさい」「疲れているからあとでね。」「危ないから離れていて」といった言葉でも、何度も繰り返すうちに「近づくことを拒否されている」と受け取り、人に近づかないと決断することもあります。

 

「属するな」

動物にとって「巣」は安心安全であるべき場所です。

その、外からの危険や刺激から守ってくれるべき「巣」である家が、両親の不和や繰り返されるケンカ、虐待やネグレストなどにより安心安全を感じられない場所であっても子どもは出ていくことはできません。

自分を守るために家族や親と関わらず、見ないようにして耐えるしかないのです。

家に属することが危険であると思い込むと、成長後出会うあらゆる集団、学校や職場・社会にも危険を感じ、所属することが苦しく、人づきあいが疎遠になったり、人と仲良くできなくなったりします。

安全な居場所を探すことにエネルギーを使い果たし、属することでそこに役立つことや貢献することを考える自己実現的なことはできなくなってしまうのです。

「信じるな」

本来、子どもは親・親的な人が安心と安全を与えてくれるものと思っています。

安心と安全が与えられない状態(夫婦げんか・虐待・ネグレストなど)が続くと「信じて後で苦痛を味わうより始めから信じない」と自分を守るために思い込んでしまい、それが一生の決断になってしまいます。

親を信じられない→人を信じられない、になっていきます。

そして「人が信じられない」のではでなく「私が人を信じていない(自分がしていること)」ということに気づかずに一生を終えるかもしれないのです。

「信じるな」の禁止令を持つ人は、人を信じられないだけでなく信じていい人と信じられない人の見わけができず、逆にだまされやすい傾向もあります。

 

・課題達成に関するもの

「重要であるな」

子どもが自分を重要な存在だと思うためには、色んなことを肯定的に受け入れられることと、できる限り欲求を満たしてあげることが必要です。

子どもは自分が望むことがかなえられたり、考えたことや、やったことを肯定的に受け入れてもらうことで、大切にされていると感じ、自分は重要な存在だと思えるようになっていきます。

反対に、偏差値教育や幼児期からの競争(スポーツや芸術などの習い事)で、やってもやっても親が認めてくれなかったり、能力や金銭面(親の資金力)でかなわないと思うと、自分のレベルはこのくらい…とあきらめていくことで、それに見合った人生のストーリーを作ってしまうのです。

重要に扱われることに(役割・昇進など)に居心地の悪さを感じたり、ここぞという場面で実力を発揮できない、反対に自信ありげにふるまうが内心は「重要でなければ自分に価値がない」という思い込みに苦しめられ、心が安らぐことがないといった人もいます。

人の持つ力は学力や運動能力、目に見えるものだけで図れるものではなく、可能性は無限にあることを伝えながら、子どもたちを小さな枠組みだけであきらめないよう、重要な存在として扱ってあげなくてはならないのです。

 

「成功するな」

子どもは成長とともにできることが増えていきます。

寝返り、座り、立ち、歩き…

それを周囲の大人が喜んでくれた子どもは自然と成功することができるようになっていきます。

人の一生は自分の中にわいてくる欲求を満たし叶えていくことの繰り返しといわれます。しかし親の描く成功に子どもを当てはめようとしすぎると、子どもは親に認められたくて親の要求をかなえようとするようになってしまうのです。

親の要求と自分の欲求を勘違いしてしまうとだんだん自分のやりやいことが分からなくなります。やっていることが本当にやりたいこと(欲求)でないと成功させることは難しくなります。

最近は人としての成功(成長)より金銭・名誉的な成功を「成功」ととらえてしまうようになっているように感じますが、目標を持ち自分の長所を発揮できて暮らしていくことができれば「成功」と言えるのではないでしょうか。

そして本当の成功者は自分の欲求をかなえるために、努力・一生懸命・がんばるといった言葉の陰で疲れ切ってしまうことなどなく、楽しさや充実感を感じながら成功していくものだと思います。

 

・個人の成長に関するもの

「成長するな」

動物はかならず成長し大人になりますが、人は体の成長と同時に心理・精神面の成長のバランスを取っていかなくては本当の成長とはいえないでしょう。

人は生まれてしばらくは面倒を見てもらわないと生きていけませんが、成長とともに自立(自律)し、共生関係を徐々に離れていきます。その段階で3回の反抗期(3歳前後・10歳前後・思春期)がきちんとあることはキチンと成長している証拠で、以下のようなことを訴えて自立しようとしているといいます。

3歳・・・もう親の体の一部ではない

10歳・・・もう親と同じ考えではない

思春期・・・自分は親とは別人格である

私たちは反抗期の段階ごとに「怒り」を使い、それを受け入れてもらうことで自分にパワーを感じ自己肯定感を高めます。この時に親が反抗を攻撃と取り、押さえつけてしまうと「成長するな」というメッセージとなり内面的な成長を妨げてしまうことになります。

反抗期のない子はいうことを聞く「いい子」に見えますが、怒られるのが怖くて適応している場合も多いので、押さえつけられて内にたまった怒りが思春期になったとき表に出てくると、非行・不登校・引きこもりという状況を起こす可能性があります。

つまり「誰かに面倒を見てもらわないといけない状態=成長するな」になるのです。

愛情とは親が思ったようになるよう子供を育てることではなく、ゆっくり待ってあげ自ら成長するのを見守ることではないでしょうか。

 

「子どもであるな」

「成長するな」の禁止令を持った親は子どもにこの禁止令を与えてしまいがちです。

大人と子どもが自分の欲求を満たそうと争うと、必ず大人の方が勝ってしまい、子どもは子どもらしさを使うことをがまんしてしまうことになるからです。

子どもは感情の面で親の面倒を見るようになり、自分の子どもの部分を抑えるようになってしまいます。

それ以外にも、例えば酒を飲んで暴れる父親などに母親がエネルギーを取られてしまうと、子どもは自分を守るために子どもでいてはならないと思い込む場合もあります。

休んだり楽しんだりすることに罪悪感を持つ人、自分のためにお金を使えない人、ワーカホリックといった人はこの禁止令がある可能性があります。

大人から「おりこうさんでいい子」と言われて育った人に多い禁止令です。

 

「するな」

心配性やイライラ・不機嫌などの感情を子どもにぶつけがちな親から与えられることが多い禁止令です。

親がそのような状態だと子どもは常に親の顔色を見ていなくてはならず、機嫌をそこなうくらいなら…と行動しなくなってしまうのです。

また、心配性の人はそれを愛情と思っているところがありますが、まだ起きてもいないことをさも事実のように言い聞かせていると、子ども自身も心配症になり自発性がなくなり、指示されないと動けず、行動しないという状態になっていきます。

大人になっても指示されないと動けず、そうすることが安全だと思い込み、自ら動こうとしない人になります。

 

「考えるな」

この禁止令は考えることがネガティブであったり苦痛だと思っている親、または「成長するな」を持っている親から伝えられる可能性があります。

このような人は考えることと悩むことの区別がついていない人が多いです。くよくよと解決に向かわない状態(悩むこと)が苦痛なのであり、どうやって解決に向かうようにするかを考えることは苦痛なことでないのです。

子どもの考えることは的外れだったりまちがっていたり夢みたいなことだったりすることもあります。それを笑ったり否定したりバカにしたりすると、子どもは自分が考えることはおかしい・まちがっていると思い込んでしまうのです。

大人の役目は子どもの力を伸ばすことであり、よく考えたね・よく思いついたね、とポジティブにとってあげることで子どもの考える力は伸びていくでしょう。

 

・欲求に関するもの

「感じるな」

感情レベルのコミュニケーションをしない親、あまり感嘆詞を使わない親から伝えられることが多いでしょう。

おいしい!キレイ!うれしい!楽しい!といった感嘆詞は子どもにとって感じることの許可になるのです。

遊んでほしい・かまってほしい・甘えたいなど子どもが感じたことを求めて来た時、たびたびそれに応じないと、受け入れてもらえないことに苦痛を感じ、「感じない方がいい」と決断する可能性もあります。

感情にふたをし続けると苦しくなるため、過食や大量の飲酒、薬物などの強い感覚を得ることで生きているという感覚を味わおうとするようになることがあります。

そのため摂食障害や中毒症と言われる状態になる人もいます。それ以外の時は感情がないのではなく「無感覚」という感情を作り出すのです。

人生を豊かにする喜びや達成感を感じることが少なく、幸せを感じて生きることが難しいかもしれません。

「幸せであるな」

生まれ育った環境や家族に安心安全を感じることがでないとその状態が当たり前だと受け入れてしまったり、自分は幸せになれないとあきらめたりしてしまうことがあります。

家族が不幸なのに自分だけが幸せになることはできない、長子で「お兄ちゃん(お姉ちゃん)だから我慢しなさい。」と言われ続けると自分の欲求を出すことを我慢しなければならないと思い込んでしまい自分を楽しませ幸せにすることができなくなる人も多いのです。

学校で偏差値や運動能力のみで評価され続けると、学力・運動能力が劣っている自分は幸せになれない(欲求がかなえられない)と思い込んでしまう場合もあります。

 

・身体と精神に関するもの

「健康であるな」

日頃忙しい両親が、病気の時だけ仕事を休み、優しく看病してくれると子どもは「両親から愛されるためには、病気になるのが一番いい。」と決断するかもしれません。

この禁止令を持つ人は大人になってからも具合が悪いことで人から注目されたり、かまってもらったりしようとします。

反対に健康を害することに対して恐いという感情を上手く使えない人は、具合が悪いことを隠して無理をしてしまい、病気の悪化や怪我をするということがあります。

そうすることで結果的には人から世話をしてもらわなくてはならない健康でない状態になるパターンもあるのです。

 

「正気であるな」

正気であるということは物事に対して客観的な見方や判断ができる状態です。

「正気であるな」という禁止令は精神病の親や親戚などを見ることで決断して行くことが多いようです。

また「正気であるな」を持つ人はパニックになったり、ヒステリーに振る舞ったりする時だけ関心を集めることができると思い込んでいることもあります。

「変わっている」「人と違う」といわれ続けることで、取り入れてしまうこともあるのです。

この禁止令を持っていると何か困った事が起きた時「頭が真っ白で何も考えられなくなる」「体が動かなくなる」「失神してしまう」などという混乱した状態になってしまいます。

親の言う事が首尾一貫していない(同じ事をしても、誉めたり、どなったりなど一貫性のない)場合も決断することがあります。

「慌てんぼう」「落ち着きがない」「よくミスをする」等の行動が多くみられるようです。

*禁止令について見てきましたが、思い当たるものはあったでしょうか?

たくさんある…と心配になった人もいるかもしれません。

しかし気づいた時点で脳の回路は変わり始めます。思い当たるような場面があった時に「この禁止令を持った小さな自分が私を守ろうとしてこうなっているんだ。成長した今はもうこうしなくても危険はないよ。」と自分自身に話しかけてみて下さい!

きっと何かが変わってきますよ。